『近代編前期3 明治維新』

【3】 明治維新 (P.99〜102)

1 戊辰戦争 
  戊辰戦争のポイントは、鳥羽・伏見の戦いで始まり、五稜郭の戦い(箱館戦争)で、榎本武揚が降伏(エピソード「榎本武揚と黒田清隆」へ) して終わる。途中の、江戸無血開城(エピソード「勝って驕らず−西郷隆盛−」へ)や、奥羽越列藩同盟、白虎隊(会津戦争)などは、余裕があれば押さえてください。

2 維新の諸政策
 明治元年つまり1868年の諸政策のポイント。
 「五箇条の御誓文」は、天皇が百官率いて神々に誓うという形式。史料もチェック。起草、加筆、修正の由利公正→福岡孝弟→木戸孝允の順番はやや難。
 誓文の翌日、「五榜の掲示」は、民衆向けで、キリシタンの禁止など江戸時代の教学政策を踏襲した。
 政体書
のキーワードは閏4月と三権分立を図った」である。

3 中央集権の確立 
 まずは、「版籍奉還」と「廃藩置県」の区別をしっかり。史料も出る。
        版籍奉還 ⇔ 廃藩置県
○中心:  薩・長・土・肥 ⇔ 薩・長・土
○事業: 藩主→知藩事 ⇔ 知藩事→東京へ集住
○結果: 知藩事が統治 ⇔ かわりに中央から府知事・県令を派遣

 正誤問題で、「廃藩置県は旧藩主たちの激しい抵抗にあったが、新政府はこれを断行した。」という問題がでる。これは×。廃藩置県は 1万の御親兵の軍事力と旧藩主を厚遇したため、ほとんど混乱はなかった

 官制の整備。「王政復古の大号令で三職制」→「政体書で太政官制復活」→「版籍奉還の時、大宝令の形式に戻る」→「廃藩置県で三院制」となった。三院制で具体的にでるのは、左院ぐらいか。「民撰議院設立建白書」が提出されたから。この過程でいわゆる「藩閥政府」が形成された。

4.近代軍制 
 近代軍制は、大村益次郎(適塾出身)の建議で、山県有朋が確立した。徴兵令1873)の前年(といっても直前だが)の、徴兵告諭血税という文言が誤解され、いわゆる血税一揆(徴兵令反対一揆)が起こった。しかしこれは、誤解だけではなく、多くの免役規定があったため、実際には農家の次男以下が徴兵されることになり、働き手を奪われる農家の反対でもあった。 
 また、廃藩置県の後、御親兵の一部は4つの鎮台に分けられ、徴兵令後、6鎮台となった。1888年に師団(もっとも受験で「師団」という言葉を見るのは、「陸軍2師団増設要求」ぐらいであろう。)
 論述問題のために1つ。のちに自由民権運動が高揚し、国会開設の詔が出されると、軍人の政治との関係を防ぐために軍人勅諭(1882)が出されている。

5 身分制度
 一番のポイントは、士族解体である。1876年の「秩禄処分」と「廃刀令」で、士族は、経済的・身分的特権を全て失った。秩禄処分とは「秩禄(家禄+賞典禄)の支給をやめ「金禄公債証書」切り換えた事業」は丸暗記。

6 地租改正
 「地租改正」は「地価の3%を地主(=地券の所有者)が金納」がすべて。従来の収入を減らさない方針であったことは周知の通り。

7 殖産興業 
 省庁は、工業とあったら工部省。それ以外は全て内務省。内務省ができた1873年から大久保利通が暗殺される1878年までを、「大久保政権」(エピソード「渾身これ政治家−大久保利通−」へ)と呼ぶ場合があるほど、巨大な省庁だった。後は一問一答。「富岡製糸場=群馬県=フランスの技術」「郵便制度=前島密」「鉄道=東京〜横浜間(1872)東海道線全通(1889)」「岩崎弥太郎=三菱」。ここで正誤問題。後に四大財閥と呼ばれるものについて、「これらは全て江戸時代からあった。」という問題はもちろん×。三井と住友は江戸時代からありましたけど。

8 貨幣・金融
 「新貨条例」(1871)で、円・銭・厘の十進法となった。翌年の1872年アメリカのナショナルバンクの制度にならって「国立銀行条例」。当初、金兌換を義務づけたため、渋沢栄一の第一国立銀行など4行しかできなかった。兌換義務を解除し、最終的には153行できた。

9 文明開化
(1)キリスト教関係が盲点。キリスト教は、「五榜の掲示で禁止→浦上信徒弾圧事件で諸外国からの非難→黙認→明治憲法で公認」
(2)神道国教化の方針に基づいた、神仏分離令→廃仏毀釈の嵐はセットネタ。明治元年(1868)のことである。
(3)「活字印刷技術の本木昌造」と「最初の日刊邦字新聞は横浜毎日新聞」は最低限でも知っておきたい。

(2010.3.4改訂)

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