『織豊政権編1 南蛮貿易とキリスト教』

第1部 原始・古代
 第1章 日本文化のあけぼの

【1】 先土器時代 (P.1)(P.61〜64)

(P.61)

1 ヨーロッパ人のアジア進出
 大航海時代の背景には、「ルネサンスと宗教改革」の影響がある。
 ローマ教会の腐敗や聖職者の堕落に対して宗教改革が起こると、ローマ教会はそれを厳しく弾圧し、先駆者であるフスやサヴォナローラらを処刑した。しかし、16世紀の初め、ルターがローマ教会に抗議して95ヶ条の論題を打ちつけると、この贖宥状批判は大きな反響を呼び、宗教改革は各地に拡大した。
 しかし、教会派つまりカトリックの中にも、純粋な宗教心から改革の必要性を痛感していた者たちがいた。その代表がフランシスコ=ザビエルである。ザビエルはバスク地方の大貴族の出身である。つまり、金をむさぼる必要のない育ちの人間であった。彼らは新たなカトリックの布教先を求め、アジアに来たのである。
 貿易の拠点として「スペイン=フィリピンのマニラ」「ポルトガル=インドのゴア→中国のマカオ」は地図上でも把握しておくこと。

2 南蛮貿易とキリスト教
(1) 日本史に関係してくるのは、1543年の鉄砲伝来から。ポルトガル人種子島時尭は基本。この船は寧波に向かう途中の中国船だった。
 鉄砲の国産地3点セット(近江国国友村紀伊国根来和泉国)は確実に。鉄砲の影響の築城法、戦法の変化も正誤問題で出る。築城法は高度が段々低くなる(山城→平山城→平城)こと、戦法は足軽鉄砲隊が登場することである。

(2) 南蛮貿易について。
 南蛮人とはポルトガル人スペイン人であってイギリス人・オランダ人ではない。英・蘭人は紅毛人である。正誤問題注意。
 貿易ではを輸出して中国産生糸を輸入している。南蛮貿易の本質は、
灰吹法の伝来によって、石見大森銀山などからの銀の生産量が飛躍的に増大した。そのため、その銀を求めてポルトガル人ら南蛮人が来航して中国産生糸と日本銀との交易を行った。」ことである。その結果、日本銀がアジア世界に広まることになった。
 詳しいことはコラム 頂いた質問から11 『東大の日本史の書き方について』で述べているので参照してほしい。(なお、神谷寿禎=朝鮮から灰吹法の導入は、=『室町時代編9 戦国時代/都市の発達』参照)

 この流れは江戸時代初期の外交まで続く。つまりポルトガルが、糸割符制度1604)で経済的に大打撃を与えられるように、南蛮貿易で日本は銀を売って、白糸と呼ばれた中国産生糸を買っていたのである(近世編2参照)。よく「鉄砲を輸入した」と言われるが、全体から見れば多くはない(買ってたことは事実であるが、ぼくの学生時代、先生から「新入生に南蛮貿易で日本が輸入したものは何かと問うたら、みんな鉄砲と言うのだ。これは山川の教科書の弊害だ。あくまで、“日本はポルトガル人を介して、銀を売って、中国産の生糸を買った”というのが本質だ」と言われた)。
 ポルトガル船は布教を許可した大名領にのみ入港したので、貿易の利益を求め、キリスト教を保護し、自ら入信する大名(キリシタン大名)が出た。

(3) キリスト教について。
 日本に上陸した宣教師第1号が、フランシスコ=ザビエルなのは言うまでもないが、その上陸地が鹿児島1549)なのは要注意!彼が京都へ上り、山口や府内で布教したことも問われる。
 施設については、南蛮寺が教会のことなのは、「寺」とあるから分かりそう。「コレ、宣教師みな神学に励めよ」→「コレジオ=宣教師養成学校」「セミナリオ=神学校」で、きちんと覚えること。
 いわゆる天正遣欧使節は、勧めたのがヴァリニャーニであることは絶対。派遣した3人のキリシタン大名(大村純忠・有馬晴信・大友義鎮)はセットネタ。4人の少年はローマ法皇に謁見したが、帰国した時にはすでにキリスト教に対する弾圧が始まっており、改宗させられたり、最後まで信仰を捨てずに殺されたりした。だから「少年たちは帰国後、キリスト教の布教に活躍した」という正誤問題の答は×である。
 宣教師は、ザビエル、ヴァリニャーニ、ガスパル=ヴィレラ(堺を紹介)+ルイス=フロイス(信長に謁見し『日本史』を著す)の4人でとりあえずO.K.(窓「出題ミスに振り回されるな!」へ)


(2013.9.14 内容を整理し、リンクを追加)

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