『室町時代編9 戦国時代/都市の発達』

【1】 先土器時代 (P.1)(P.59〜60)

1 戦国大名
(1) 出自は様々。とにかく「守護大名から成長した者もいるが、て残ってない」→武田今川島津が分かれば何とかなる。かつては出自が不明と言われていた北条早雲(伊勢宗瑞)は、近年研究が進んで、室町幕府9代足利義尚の奉公衆であったことがわかっている。
(2) 戦国大名の領国経営でよく言われる「富国強兵・殖産興業」は、明治新政府でも使われる。自己申告制の検地である指出(検地)は絶対。楽市楽座関所の撤廃は、よく信長のキーワードみたいに言われるけど戦国大名はみんなやっている。治水事業で出るとすれば信玄堤ぐらいだろう。石見大森銀山のような鉱山の獲得は大問題(大内→尼子→毛利)だったが、この大森銀山は、16世紀初頭に博多商人神谷寿禎が朝鮮から「灰吹法」を導入して産額を倍増させたことも問われる。(コラム 頂いた質問から11 『東大の日本史の書き方について』 参照

(3) 軍事基盤を問われたら、まず答は寄親・寄子制だと思って良い。「地侍の家臣団編入に成功」「有力家臣に新参衆を預ける形」などの言葉がついてくる。家臣は貫高制によって、軍役を負担した。つまり、自分がもらっている給料の分だけ働いたわけでgive & take の関係だった。
(4) 下剋上の典型例の2つ(「細川晴元→三好長慶→松永久秀」「大内義隆→陶晴賢→毛利元就」)は知っておきたい。
(5) 永享の乱で足利持氏が滅亡し、その後享徳の乱(1454)で分裂した鎌倉公方は、出たらめんどい。字を正確に覚えると、清濁合わせでいける。
 堀越(ほりこし)公方(伊豆)と古河(こ)公方(下総)は、京都に近い方(伊豆)が8代将軍(義)の弟(知)で、遠い方(下総)が滅亡した持の子(成/し)と字がダブっている。さらにともに北条氏に滅ぼされるが、それも清濁合わせ(ほしこし→北条そううん(早雲)、こ→北条うやす(氏康))になっている。

(6) そして大物、分国法である。教科書や図表に載っているのは11。「どこの何氏の何」を一つ一つ覚えるに越したことはないが、出題の大部分は「○○氏の・・・」や「どこどこの・・・」なので、ほとんどのものは分国法の名称中にヒントがある。ないのは「塵芥集」(伊達氏/陸奥)と「新加制式」(三好氏/阿波)である。
 史料からの出題に対応出来れば、OKと言える。
喧嘩口論・・・双方成敗に及ぶべし」→喧嘩両成敗による私闘の禁止(出典は『長宗我部元親百箇条』か『甲州法度之次第』が多いが、ほとんど特定出来ないし、しなくてよい。)
駿・遠両国の輩、或はわたくしとして他国より嫁をとり・・・」→私信・私婚の禁止→家臣の婚姻の規制(『今川仮名目録』)
朝倉が館之外、国内□城郭を構へさせまじく候・・・一乗谷へ引越・・・」→家臣の城下町集住政策(『朝倉孝景条々』)
国中の地頭人、・・・恣に罪科の跡と称し、私に没収せしむるの条・・・。若し犯科人晴信の被官たらば・・・」→闕所(けっしょ)の許可制(『甲州法度之次第』←武田晴信=武田信玄)(エピソード「分国法で遊ぼう会」へ

都市の発達
 城下町は覚えるしかない。朝倉氏の一乗谷は史料でも出る。
 門前町寺内町の区別をしっかり。「一向宗(浄土真宗)の・・・」という言葉があれば、寺内町。それ以外の寺社の門前は全て門前町である。
 港町もノートの通り。草戸千軒町遺跡(広島/幻の中世都市)は一時期頻出したが、最近は下火か? 細かい所では坊津(鹿児島)あたりが日明・琉球貿易関係もあり、中では出やすいか。

 目玉はやはり自治都市でしょう。特に博多の区別である。
 「36人会合衆」⇔「博多12人年行司」は、間違えたら自分だけだと落ち込んで良い。
 堺の町を紹介したガスパル=ヴィレラの『耶蘇会士日本通信』は史料でも頻出。ここから「東洋のベニス」と称される。
 京都の富裕な商工業者を町衆といい、月行事が選ばれて自治を行い、祇園祭を再興したことも、知っておかなければならない。

(2013.9.14 リンクを追加)


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