頂いた質問から(11)

『東大日本史の書き方について』

 2012年10月20日、東大の問題を解くための考え方について、次のようなメールをもらった。
 今、がんばっている受験生の参考になればと思い、本人の了承をもらってそのやりとりを掲載することにした。
(元のメールのA~Dには実名が書いてある。)


<いただいた質問>

はじめまして。

元A高校の浪人一年生、Bと申します。現在は東京大学文科一類を目指して勉強しています。塾はC予備校を利用して半ば宅浪の様な形で学んでいます。

ご多忙とは思いますが、よろしければ日本史の論述問題での書き方について、質問させてください。

 未熟者のため、一般化した問いがどうしても浮かばず、不躾ながらD社の問題を例として引用させてください。


 次の史料は、16世紀中頃のアジア海域を舞台とした、ポルトガル人による冒険小説の一部である。これを読んで、下記の設問A・Bに答えよ。

 (ここには、冒険小説の一部が史料として載せられている。内容の要約は以下の通り。)

中国南部から東南アジアにかけての海をポルトガル船で航行中、いつもポルトガルに甚大な被害を与えている海賊に襲われた。海賊たちは自分たちを中国船だと思ったらしい。危ないところだったが、救援を得てイスラム教徒である海賊を倒し、危機を脱した。倒した海賊船の荷物を調べたら、その海賊が平戸からシンシュウに行く三隻の商人のジャンク船から奪った莫大な日本銀が出てきて戦利品となった。

設問

A 上記資料によれば、アジア海域を舞台に日本人、中国人、イスラム教徒、ポルトガル人などの諸勢力が入り乱れて、相争う中で、日本銀が重要な取引品の1つとなっていたことが知られる。それでは、16世紀に日本が銀をアジア世界の重要な取引品とできた理由とその実態について、90字以内で説明せよ。

(B及びD社の模範解答は省略します。)


この問題のAで求められていることを、野澤先生のやり方を真似て分類すると、

① 16世紀に日本が銀をアジア世界の重要な取引品とできた理由
② その実態
③ 90字で書く。
となると思いました。

僕は、①の理由として、 
1. 世界的に銀中心経済が発達した(需要が増大)
2. 日本で供給が増大した
と大きく2つに分類して考え、このような解答を作りました。

「アジア世界も銀を中心とする経済が発達し、銀への需要は高まった。日本銀は灰吹法の導入で石見銀山などで産出が増大した。実態はスペイン銀と共に銀経済を支え、主に中国との貿易で使用された。」(90字)

 結果として、但馬生野銀山、生糸の語がないと減点され、銀経済の発達は全く加点対象になりませんでした
(下線は野澤が施しました。)

質問は、このような問題の場合、日本史の論述である以上、日本での要因に絞った解答の方が好ましいのか。
また、論述で「実態」と指す場合どこをとって考えればいいのか、というものです。
この二点です。漠然とした問で有る上に、論述問題という特性上、絶対こうだ、という答えがないことは承知しています。是非、意見だけでもご教授いただけないでしょうか。よろしくお願いします。

以下、少しばかり感謝の言葉を書かせてください。

(これ以下、過分の評価と謝辞をいただいた。掲載には抵抗があるので省略するが、彼が東大受験本番の3日前にぼくのサイトを知ったこと。そして解説や「東大チャート」などを見てくれたことなどが記されている。その中で特に次の文面は、ぼくがやっていることが受験生の役に立っているのだと思えて、本当にうれしかった。)

 本番、結果として不合格だったものの、東大模試で今まで20点台かそれ以下を連発していた日本史の点数は、36点でした。さして問題がツボに嵌ったというわけでなく、この点数をとれたのは間違いなく先生のサイトで得た考え方が大きかったと思います。

(略)

本当に有難うございます。合格してもう一度同じことが言えるように、頑張りたいです。


<野澤からの返事>


B様

初めまして。野澤道生です。
ぼくの拙いHPに過分の評価をありがとう。うれしいです。

さて、質問にあった東大の論述の件について、提示してくれたD社の問題の設問Aをもとにぼくの考えを述べたいと思います。
ただし、ぼくは毎年何十人もの東大生を出す学校に勤務しているわけではないので、経験においてはD社さんより優れているとは言えません。
それは承知しておいてください。

問われていること
ア 日本人、中国人、イスラム教徒、ポルトガル人が相争っていた16世紀のアジア海域において
イ 日本が銀を重要な取引品とできた理由について書く
ウ 日本のアジア世界における日本銀による取引の実態について書く
エ 90字以内で書く

この問題文に、「
ポルトガル人による冒険小説の一部」とあるところが、D社さんは東大をよく研究していると思います。
おそらく東大の本物でもこういう書き方をするでしょう。ではなぜ、ポルトガルにこだわるのか。
それは「日本のアジア世界における取引の実態とは、
ポルトガル人による南蛮貿易の実態について書くのですよ」と念を押してくれているのです。
与えられた史料中にも、海賊との戦いで得た銀は、もともと
平戸から運びだされたものであると記されており、南蛮貿易の荷物であることが読み取れます。
では、南蛮貿易の実態とは何か。それは、「ポルトガルを仲介役として、中国の生糸と日本の銀とを交易した。」です。これがウですね。
イについては、君の解答の内容、すなわち「灰吹法によって石見大森銀山などからの生産が飛躍的に増大した」でよく、
但馬生野銀山がないから減点というD社の採点基準は、ぼくとしては「?」です。
なぜなら問われていることの本質ではないからです。
石見大森も但馬生野も両方ともないのは減点されても仕方ないと思いますが、山川の教科書でも、灰吹法の伝来によって銀の産出量が飛躍的に伸び、世界有数の銀山として海外にもその名が知られたものとして石見大森銀山を紹介しており、石見があれば十分だと、ぼくは考えます。

東大は歴史の本質を聞いてくるというのは、よく言われる通りです。
ここでの本質は、「
日本では灰吹法の伝来によって、石見大森銀山などからの銀の生産量が飛躍的に増大した」こと。
そのため、「
その銀を求めて多くの南蛮人、とくに(南米ポトシ銀山の銀を背景に東アジア貿易に乗り出してきた)スペインに対抗するためポルトガル人が日本に来航した」こと。
ポルトガル人による南蛮貿易とは、鉄砲などのヨーロッパの製品の購入が主ではなく、中国の生糸と日本の銀との交易であった」こと。
です。
そのため、D社の指摘の通り、中国産生糸との交易のために日本の銀が海外へ出たことがなければ、ウに答えているとは言えません。
ぼくが教科書に記述されていることのみで書くとしたら、次のような解答例になると思います。

A灰吹法の伝来によって、石見大森銀山などからの銀の生産量が飛躍的に増大した。そのためポルトガル人ら南蛮人が来航して中国産生糸と日本銀との交易にあたり、日本銀がアジア世界に広まった。(90字)

(D社の基準なら、但馬生野銀山に触れられていない部分が減点ですね。)

質問の要点は、

1日本での要因に絞った解答の方が好ましいのか。

2論述で「実態」と指す場合どこをとって考えればいいのか。

でした。

1について言えば、東大入試において、世界史(東アジア史)の中での日本という視点は不可欠です。

(事実、秀吉の朝鮮侵略を呆け老人の暴挙ではなく、「東アジアにおける国際秩序の再構築」という観点から最初に論じたのは、ぼくが学生時代に出版された東大の論文集だったと記憶しています。)

ただし、今回の問題に限って言えば、銀経済圏は問われているものの本質には関係ないとぼくは思います。(この件についてはD社の立場に賛成です。)

2について。「実態」のとらえ方が、ややわかりにくい設問であったと、ぼくも思います。
しかし、本番の東大の問題では、受験生が解釈に迷うような問い方はまずされません。「やはり東大、さすが東大」というところでしょう。ですから、安心してよいと思います。

これでよろしいでしょうか。

また質問があれば、いつでもメールしてください。

受験がんばってください。

朗報を心待ちにしています。


この後、再び非常に丁寧なお礼のメールをいただいた。ぼくの方から、このやりとりを紹介させて欲しい旨を告げた。
以下は、それに対するB君からの返事の一節である。

掲載の件ですが、全く問題ありません。 そもそも連絡ページにその旨が記載されているだけでなく、今回先生に学ばせていただいた諸々の考え方は、僕一人で独占していいものでは決してないと思います。是非、より多くの悩んでいる他の受験生にも伝えてあげてください。僕にとっては敵が増えてしまうことになりますが(汗


爽やかだよね。

B君、君の合格を心より祈っています。

2012.10.21

<追記>

 その後、再びB君とやりとりがあったので、紹介しておく。

 D社の解説は、ポルトガルの意味には全く触れておらず、また生糸は単に「取引品」としか書かれていなかったそうである。
 確かに、解答例にも「ポルトガル」の言葉はでてこないし、南蛮貿易を示唆する表現もない。
 「日本銀は中国から生糸を輸入する際の取引手段」として、設問に対応して「実態」を記している。
 B君も「それを言い訳にしてしまうのも恥ずかしいですが、そこまで考えが至りませんでした。」と書いていた。

 ぼくからB君への補訂である。

 「東大の史料には必ず意味がある」のです。
 実は最初ぼくは「平戸からシンシュウに行く三隻の商人のジャンク船から奪った日本銀であった。」を読んで、「シンシュウってどこだ?」と思い、下の(注)を見たけど載ってない。「シンシュウって信州なら船で行けるはずはないから、これは架空の場所か」と思ったところで、これは「平戸から」に意味があるのだと気付きました。ここで南蛮貿易だと確信しました。
 国語でも何でも「与えられた文章は最後の部分に鍵がある。だからそこまで掲載されている。」は鉄則ですよね。

 D社の問題は、さすがによい問題だと思う。
 でも、その解説を読んだ結果、受験生がこの時代に「銀」の生産量が飛躍的に増加したことばかりに注意がいって、それが南蛮貿易に大きな影響を与えたことに気付かなかったのだとすると、もったいないなと思った。

 2012.10.22

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