『室町時代編5 産業・経済の発達』

3 産業・経済の発達 (P.51〜52)

 ポイントは鎌倉時代編3の産業・経済を見て下さい。ここでは、室町時代の特徴的なものだけまとめます。

(1)農業では、早稲・中稲・晩稲という改良品種の利用が広まった。また中国からもたらされた大唐米(赤米とも呼ばれた)が西国で普及した。戦国時代には、それまで朝鮮からの輸入100%であった木綿の栽培も三河地方から始まった。

(2)製塩業は、「揚浜式(中世)→入浜式(近世)」塩田が基本的な図式。

           

(3)手工業は特産品。関西大学などで、場所から産物を選ばせる問題が出ている。「能登・筑前→釜」「摂津・大和・河内→酒」「西陣→絹織物」といった具合だが、目玉は「美濃・播磨・越前→和紙」である。「播磨=杉原紙」「越前=鳥子紙」まで押さえたい。鍛冶番匠(大工)などは、絵で判断させる問題もある。
(4)商業は、応仁の乱以降、定期市は六斎市となり、常設店である見世棚も普及した。
(5)行商人。振売や連雀商人といわれる行商人が活躍(連雀商人は絵も出る)したが、中でも京都で「薪を売りに来た大原女」と「を売りに来た桂女」は良く出る。一方で専門市も登場した。京都三条・七条の米市、大坂淀の魚市、美濃の大矢田の紙市があるが、やや難問。

(6)座の発達
 最大の大物は座の発達である。ただし注意! 座そのものが誕生するのは平安末期。ここはもう「座と本所の組合せ」につきる。中でも
 「石清水八幡宮を本所とする大山崎油座」を覚えておけば何とかなる。油の材料は荏胡麻。しかし「北野神社酒麹座(←正確な字が出ません)」と「祇園社綿座」までは出来て欲しい。

(7)貨幣関係について。
 日明貿易で大量の銅銭(明銭)がもたらされ、その代表が永楽通宝だというのは、外交の項(室町時代編3参照)で述べた通り。洪武通宝、宣徳通宝は出来ればbetter。(参考:コラム 頂いた質問から(23)『中世の日本が貨幣を発行しなかった理由』
 貨幣経済の発展は、私鋳銭の流通も招いた。特に粗悪なものを鐚(びた)銭というのは、今でも「鐚一文まからん」という言葉で残っている。
 ここで注意が必要なのは、「撰銭」と「撰銭令」の区別である。「悪貨を嫌い、良貨を選ぶ行為撰銭」で「撰銭を禁止したり、交換レートを定めた法令撰銭令」である。(参考:コラム 頂いた質問から(19)「室町時代の私鋳銭は偽金ではない!」へ)

 鎌倉時代には 「農民⇒(現物納)⇒荘官⇒(銭納)⇒領主」という構図が一般的であったが、室町時代になると、農民が銭納するようになり、「土地の広さを銭納される年貢高で表した貫高制」が使われるようになった。土倉・酒屋という高利貸し業者の他に、無尽や頼母子と呼ばれる庶民金融も盛んとなった。
(8)金融業者
 現在、質屋は、客から担保として預かった品を入れておく耐火倉庫の設置を義務づけられている。土倉とはそのような倉から由来している。酒屋も本職は文字通り酒屋であったが、潤沢な資金を利用して高利貸しを営んでいた。
(9)交通
 正長の徳政一揆の発端ともなった運送業者馬借は、絵でも分からなければならない。この時代には廻船の往来が活発になるが、海上交通とあわせて琵琶湖の水運も発達していることを、ノートのP.60の都市の項目で示した図のイメージで理解してほしい。


 その他の項目は、鎌倉時代編3の産業・経済に記してある。

(2013.1.13加筆)
(2013.2.23塩田の図を挿入)

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