コラム 新人墓マイラー奮戦記3 

染井霊園周辺1 
『遠山の金さんから田沼意次』

 2013年の2月上旬。東京へ行く機会を得た。
 今回は墓マイラーとして最初から目的があった。「田沼意次の墓へ行く!」である。

 ぼくが田沼意次を「日本が生んだ3大経済学者」と高く評価しているのは、通史編『近世編7 三大改革』でも述べている通りだが、彼は息子の意知とともに、染井霊園近くの勝林寺に眠っている。
 賄賂政治家と言われ、悪役にされてきたが、再評価する人が増えてきたのは非常にうれしい。近年では、攻守が逆転(?)して、田沼意次・意知親子の失脚は、行き詰まった幕政改革のために家柄に関係なく能力主義の人材抜擢が行われることに危機感を抱いた松平定信ら血脈・門閥主義のグループによる追い落とし工作であったという説も唱えられている。
 佐野政言によって殺害された息子意知は、意次以上に優れていたため、反対派にとっては老い先の短い意次を殺しても意味がなく、意知を狙ったのだというのである。その中では、10代将軍家治の死は、能力主義の抜擢を行う将軍に危機感を持った門閥派による暗殺だとも言われている。
 真相はわからないが、田沼意次を高く評価するぼくとしては、賛成したくなったりする。
(血脈・門閥主義が根深いものであることは、昨年、最もリベラルを標榜する某新聞社においても顔をのぞかせたことからも分かる。ましてやこの時代は、身分秩序がいわれた時代であった。)

 勝林寺のある巣鴨をめざすのだが、その前に一か所、訪ねたいところがあった。それは皇居横に立ち並ぶ高層ビルの間に設けられている日本史上のメジャーリーガーの墓である。


              

 平将門の首塚!「ビルの谷間なんて見つけられるのだろうか。」というのは全くの杞憂であった。というより、ぼくが墓マイラーの末席を汚すようになって以来、これほどゴージャスに供養されている墓は初めてだった。
 数メートル前から、香のにおいがただよってきて、異質な空間であった。さすが「日本史上に冠たる大怨霊!」と思った。


 さて、将門の首塚の横に、メトロ大手門駅がある。そこから巣鴨へ向かった。
 メトロの巣鴨駅で降りて、北を目指す。染井霊園とその周囲には、ほかにも教科書に登場する人たちが眠っている。

 最初の訪問地は、振り袖火事こと明暦の大火の舞台となった本妙寺である。(エピソード 『怪談? 振袖火事』参照
 

本妙寺の門より 境内にある「明暦の大火」の犠牲者供養塔  世襲時代の歴代本因坊の墓。正面は、川端康成の小説『名人』の主人公である21世秀哉の墓 剣豪 千葉周作。言わずと知れた北辰一刀流の創始者である。

 そして、
 決してメジャーではないだろうけど、ぼくの授業ではペリー来航の項で、
ペリーVS林大学頭のシーンを再現する「小芝居」で必ず登場する人の墓もあった。
 森山栄之助
(別名森山多吉郎。墓石は多吉郎になっていた。)である。ペリー来航に際して、通訳を務めた人!
 授業では、
ペリー:英語→ポートマン:英語→オランダ語→森山:オランダ語→日本語→林大学頭:日本語→森山:日本語→オランダ語→ポートマン:オランダ語→英語→ペリー
 と教えたが、森山栄之助は実は英語もできて、『エゲレス語和解』の編纂にもあたっている。

 そしてスーパーメジャーリーガーが眠っている。遠山の金さんこと
遠山景元である。

森山栄之助。横に「日本最初の通辞」という標柱が立っていたが、それはちょっとね。志筑忠雄らもいるし。外国語関係を志す者は拝みなさい。 遠山の金さん!左側が金さんこと遠山景元の墓。
左はお父さんの
遠山景晋(かげみち)。この人もNHKのドラマ「夢暦長崎奉行」の主人公である。


 本妙寺を出て、慈眼寺へ。

芥川龍之介。自殺した後、奥さんが「お父さん、楽になれてよかったですね。」と語りかけたという話を思い出して、「本当によかったのですか?」と問いかけそうになって思いとどまった。 谷崎潤一郎。人間性は個人的にはあまり好きではないが、その紡ぐ文章は本当に美しい。これぞ耽美派だと思う。
エピソード「『太陽の季節』と佐藤春夫」参照
司馬江漢。蘭学者。西洋画家。日本銅版画の創始者。「不忍池図」、「三囲景図」で有名。墓石は「江漢司馬」である!何となく「さすが」と思った。

 そして
  
              

                 最大の目的、田沼意次・意知父子の墓である。

 将来、経済学・経営学を学ぼうと考えている生徒は是非、拝みなさい。


後編「新人墓マイラー奮戦記4 染井霊園周辺その2「高村光太郎から宮武外骨」へ)

2013.2.10

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