神武景気ネタでよくでるのが「もはや戦後ではない」と『太陽の季節』である。
僕が『太陽の季節』を読んだのは高校生の時だったが、異様な感があった。「どこがいいのか分からない」どころか「何が言いたいのか分からない」状態だった。話に聞いていた『障子破り』のシーンは「ああ、このことか」と思ったが、性描写の優劣が芥川賞を決めるのかと、不愉快にすらなった。
これほど訳が分からなかったのは、小学生の時にツルゲーネフの『初恋』(あの、「自分の憧れていた人が実は親父の愛人だった!」というやつ)を読んで以来だったので、自分には文学の鑑賞力がないのかと不安になった。後で芥川賞の選考委員であった佐藤春夫が、この作品をボロクソにこき下ろしていたのを知って、ホッとした。
ただ佐藤春夫は、先輩であり師であった谷崎潤一郎に虐げられていた妻千代さんに同情するうちに、これが愛情に変わり、10年の谷崎との悶着の結果、彼女と結婚してその娘を引き取ったような人物であった。(谷崎の女性関係は無茶苦茶であるが、そうでなければ文学は書けないのかもしれない)そのころの佐藤春夫の心境は、名作『秋刀魚の歌』の
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(をさなご)とに伝えてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
の部分にもよく出ている。(あ〜、やっぱり佐藤春夫はいい!)そんな佐藤にしてみたら、『太陽の季節』など噴飯ものであったろう。
『太陽の季節』に比べたら、同じく若者を主人公にした芥川賞作品でも、70年安保の時の高校生を主人公にした庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』のほうが、東京の優等生が田舎者を馬鹿にしていることへの反発はあっても、高校生の自分としては素直に受け入れることが出来た。
その『太陽の季節』が今また取り上げられている。(1956年の映画化にあたって、撮影現場に遊びに来た弟を、製作の水の江滝子が一目見て気に入り、チョイ役で出演させたら主役の長門裕之を食ってしまった。この弟が石原裕次郎というのは有名な話である。しかし『太陽の季節』そのものも、父親を亡くして一橋大学の寮で貧乏生活をしていた兄に対して、経済観念がなく放蕩生活を送っていた弟から聞いた話をもとにしているというから、意外に裕次郎こそ竜哉なのかも知れない。)
高校時代、不快感を持ったこの作品を今、読み直したら別の感想を持つのだろうか。
竜哉が英子に中絶させる理由は、確か「スポーツマンとしての自分の美意識に照らして」であったと思う。言ってみれば「女のために自分の夢を捨てることが出来るのか」ということの譬えとも取れる。「女か自分の夢か」と迫られた青年の葛藤が悲劇を生んだと考えれば、純文学と言えなくもない。そして現実には、男は夢を捨てて大人になるんだよな、映画『追憶』みたいに...。
あ〜あ、こんなことを考えるようになったのも、僕が歳を取ったということなんだろうなあ。
(2002.9)