『近世編6 寛永期の文化・元禄文化』

【3】 寛永期の文化  (P.81)

 3代将軍家光のころの文化であり、江戸初期の文化と言ってよい。教科書では文治政治の前にあるが、ここでは元禄文化と一緒にまとめてみた。

1 朱子学
 家康の顧問であった林羅山は絶対。ここから林家がスタートする。その師が藤原惺窩である。藤原惺窩は、元相国寺の僧であり、朱子学を五山僧の独占から解放した。

2 建築
 「桂離宮数寄屋造で写真もでる。(この桂離宮が後陽成天皇の弟智仁親王の別邸であることをきいた私立大学もあったが、マニアものである。)
権現造日光東照宮=家康を祀る」も知っておきたい。陽明門は2004年のセンターテストで出題された。(日光東照宮には国宝の彫刻「眠り猫」がある。しかし作者と伝えられる左甚五郎は実在そのものが怪しい人物である。)

3 絵画
はやはり「俵屋宗達の『風神雷神図屏風』」写真付きで尾形光琳(84頁)や狩野永徳との正誤問題である。
狩野派=狩野探幽が幕府の御用絵師となり、「大徳寺方丈襖絵」
「夕顔棚納涼図屏風」の久隅守景はセンター出題済み。鳥居清信は私大の問題で一度だけ見た。マニアものである。

4 工芸
酒井田柿右衛門赤絵の有田焼は「野々村仁清色絵の京焼(84頁。野々村仁清は元禄文化)との比較。
何でもできすぎて逆に質問しにくい「本阿弥光悦京都に芸術村と「舟橋蒔絵硯箱」。これは尾形光琳の「八橋蒔絵硯箱」(84頁)との正誤問題だけどやや難問。

5 文学
  仮名草子は文学的価値が高くなく、出るとしたら、「室町時代の御伽草子から元禄時代の浮世草子へのつなぎとして。(91頁参照)


【4】 元禄文化  (P.82〜84)
 
 最初のキーワード。「元禄文化は上方(大坂・京都)中心化政文化は江戸中心」 5代綱吉の時代を中心とする文化である。

1 文学
井原西鶴浮世草子」←→「松尾芭蕉蕉風俳諧」←→「近松門左衛門浄瑠璃脚本の3点セット。
 井原西鶴のジャンルは「好色物」・「武家物」・「町人物」の3つ。近松のジャンルは世間話に題材をとった「世話物」心中物といわない)と歴史に題材をとった「時代物」。それぞれ代表作品はおさえる。
(1)井原西鶴=「好色一代男」は内容は文字通りで、西鶴のデビュー作。「日本永代蔵」は町人のサクセスストーリーのオムニバス。「世間胸算用」は大晦日が舞台。(エピソード「好色五人女と八百屋お七」
(2)近松門左衛門=「曾根崎心中」は、平野屋の手代徳兵衛と遊女お初の物語。モデルとなったお初を祭った「お初天神」が、大阪駅の斜め前の、曾根崎警察署の近くにある。「国姓爺合戦」は明の遺児鄭成功をめぐる話。(エピソード「キタと曽根崎心中」
(3)松尾芭蕉はもと談林派(西山宗因)の俳諧師。「奥の細道」は絶対。「松永貞徳の談林派」とのいう正誤問題がある。

2 芸能
  歌舞伎は3人の名優が登場した。江戸は勇壮な荒事。名前も勇ましく市川団十郎。上方の近松門左衛門は歌舞伎の脚本も書いている。近松はラブストーリーなので上方には美男子の坂田藤十郎と美女役の芳沢あやめ。芳沢あやめはもちろん男性。だって野郎歌舞伎だから女役も男がする。(阿国歌舞伎からの歌舞伎の変遷をこの機会に復習する。阿国歌舞伎女歌舞伎若衆歌舞伎野郎歌舞伎。女歌舞伎以降は、要は風俗営業ができないようになっていった。)
 
一方、人形浄瑠璃は、近松の脚本と竹本義太夫の語り(義太夫節)で大ヒットした。

3 儒学
  朱子学の系図は、暇だったらトレーシングペーパーか何かで、なぞって覚える。重要なのは枠の中とアンダーライン。(京学派=藤原惺窩、林羅山、林信篤、木下順庵、新井白石、室鳩巣。南学派=南村梅軒、山崎暗斎)これらはすべて個人として取り上げられている。(例:林信篤73頁。室鳩巣85頁など)
(1)「陽明学中江藤樹熊沢蕃山」の師弟。
(2)「聖学・古義学派・古文辞学派はすべて古学の中の流派」だと思えばよい。聖学山鹿素行だけ単発(だから聖学派と言わない)。
(3)「熊沢蕃山と山鹿素行はともに朱子学を批判して処罰された」ことでも出題される。
(4)「古義学派(堀川学派)=伊藤仁斎東涯父子」
(5)「古文辞学派荻生徂徠太宰春台の師弟」

 それぞれの学派と人物はしっかりおさえる。著書も面倒くさいが意外に出る。
 彼らの主義・主張も確認しておきたい。
(6)「熊沢蕃山と荻生徂徠は、ともに武士土着論(帰農論)」
(7)「太宰春台は商業藩営論」→P.93の化政文化の経世論で再度確認。
 なお、倫理を学んだものにとっては基本事項であるが、荻生徂徠は、儒学は本来経世済民の役に立たなくてはならないという考え方なので、その主張は当然、経世論となる。

4 国学の萌芽
  化政文化の国学の四大人(92頁)へつながる前振り。契沖=『万葉代匠記』は頻出。戸田茂睡の「制の詞」否定とは、和歌では使ってはならない禁句(これが制の詞)があるとされていたのを、否定した。

5 その他の学問
  数学・本草学の4人は、関孝和(『発微算法』)貝原益軒(『大和本草』)を軸に覚えるしかない。貝原益軒は朱子学者でもある。稲生若水『庶物類纂』は私大では出題される。

6 宗教
 
神道がやばい。
 「山崎闇斎垂加神道」。山崎闇斎は82頁の朱子学の系図でもでている。儒学と神道を集合させた。また会津藩初代藩主の保科正之にも仕えて(諸藩の文治政治参照)おり、彼の弟子は木下順庵の木門派(弟子は新井白石・室鳩巣)に対して崎門派(きもんは)とよばれる。
 新しい禅宗の黄檗宗は隠元隆gと一問一答。

7 絵画
  土佐派の土佐光起は東山文化の土佐光信との正誤問題。住吉派は如慶・具慶が幕府の御用絵師となった。どちらもやや難問といえる。
はやはり、尾形光琳「紅白梅図屏風」・「燕子花図屏風」で単発でも十分出題されるが、やはり先述の俵屋宗達との正誤問題だろう。
 そしてもう一つがある。浮世絵版画の創設者菱川師宣「見返り美人」。写真もよくでる。でも「見返り美人」は版画ではなく直筆(肉筆画という)。

8 工芸
  野々村仁清は先述の通り。友禅染(宮崎友禅)は、元禄時代に創始というのが分かればよい。円空の鉈彫りはやや難。
  なお、絵画史・彫刻史はテーマ史「絵画史」「彫刻史」も参照してください。

(2006.5.19更新)
(2010.3.20、儒学に加筆)

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