18世紀半ば以降、江戸幕府が直面した財政難の構造的要因と、財源確保のために採用した政策についてのべよ。(200字以内)
<考え方>
見た瞬間「えっ!!これは、2011年度大阪大学の第3問と同じや。」と思った。が、問われているのは「18世紀半ば以降」なので、基本的に享保の改革は入らない(享保の改革時の元文小判への改鋳による差益収入は教科書にないので、ぼくの「教科書の書かれている内容のみ」という原則に照らしあわせて、元文小判は除く)。
と、いうことは収入増加策は、田沼時代のことのみを書くか、もしくはそれに寛政の改革以降の内容を加えて書くことになる。
寛政の改革期なら、強いて該当するものをあげると旧里帰農令となり、これを農村復興を図り、年貢収入の確保を目指したと書くことになる。しかし、旧里帰農令を財源確保のための政策とするのは、何か違和感がある。そこでここはぼくが高い評価している田沼意次による財源確保策で勝負したい。
それと大阪大学は、「幕府がとった財政危機打開策のうち、収入増加政策について述べなさい。」であったのに対して、今回の京大は、「財政難の構造的要因」、つまり原因も述べさせている点も異なっている。
しかし、この財政難の構造的要因も2010年度一橋大学の第1問の問3で出題されていた。
昨年の(1)は、2009年度筑波大学の第1問(400字)と全く内容が同じだったので、筑波大学のものを200字に要約する形で解答案を作成した。
今年もまたまた手を抜くようで申し訳ないが、昨年度の阪大の解答案の田沼による政策の部分と、2010年度の一橋大学のものをくっつける形で作成したい。それぞれについての詳しい解説は、各ページを見てください。
<2011年度大阪大学第3問に対する野澤の解答例>
享保改革では、上米の制によって諸大名から米を上納させる一方、定免法の採用による幕領からの年貢増徴と新田開発の推進をはかった。また米価の維持・調節をはかり、大坂堂島の米市場の相場を公認した。田沼政権では、経済・流通政策による収入も重視し、商工業者に株仲間の設立をすすめ、営業独占を認めるかわりに運上・冥加を上納させた。また銅座や朝鮮人参座などを設けて専売にするとともに、長崎貿易にも力を入れ、銅や俵物を輸出して金銀の輸入をめざした。(213字)
<2010年度一橋大学第1問の問3に対する野澤の解答例>
商品経済の発展は本百姓の階層分化を招き、領主が安定的に年貢米を得ることを困難にした。また都市での商品需要の増大によって諸物価は上昇し、領主の出費は増える一方であった。しかし米価は他の商品に比べて上昇率が低く、年貢米を売って必要物資の購入にあてていた藩財政はますます悪化し、豪商等からの借金に頼らざるをえなくなった。
この2つをくっつけて、要約する。
<野澤の解答例>
商品経済の発展にともなう本百姓の階層分化によって、年貢米を安定的に得ることが困難となった。反面米価は安価であり、年貢米を売却して物資購入にあてていた幕府財政は悪化した。そのため、商工業者の株仲間結成を奨励し、営業独占を認めるかわりに運上・冥加を上納させた。また町人資本による新田開発を計画して年貢増収を図った。さらに銅座などを設けて専売制を敷く一方、長崎から銅や俵物を輸出して金銀の輸入をめざした。(199字)
2013.3.1
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