2011年度 『大阪大学 その3』

享保・田沼期の財政再建策


【V】江戸時代、幕政改革の主要課題は財政危機の克服であった。享保改革期から田沼政権期にかけ、幕府がとった財政危機打開策のうち、収入増加政策について述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 享保改革から田沼政権期と限定されていることで、受験生にとって非常に考えやすい設問となった。
 ただし、注意しなければならない点が一つある。問われているのは財再建策のうち、収入増加政策のみである。

ぼくはHPでは「」の「キーワード三大改革」で
享保改革としては、
2.上米(1722)=大名に1万石に付き八木(米)100石上納させるかわりに参勤交代の在府期間を半減(半年と)する。財政が好転した8年後に廃止(参勤交代ももとに戻る)
4.年貢増徴=検見法→定免法(文章で説明できるように)。畑地からの年貢増収策(西日本の綿作に着目)。町人請負新田奨励(武蔵野新田)

田沼意次では
2.株仲間の奨励→運上、冥加の徴収
3.専売制(座)=銅・鉄・人参(朝鮮人参)・真鍮
4.印旛沼・手賀沼の干拓(中断)
5.貿易奨励→俵物(中国向け食糧用海産物)を長崎から輸出して金銀を輸入→蝦夷地開発(工藤平助『赤蝦夷風説考』)

と記している。このあたりをまとめればよい。

 それでは、関係する箇所を実教の「日本史BP.216〜218から抜き出してみる。

 吉宗は、幕府財政のたてなおしに意を用いた。支出面では、倹約令を発して出費の削減につとめ、足高の制によって人材登用と支出抑制の一石二鳥をはかった。収入面では、上米の制によって財政補填をおこなういっぽう、定免法の採用による幕府直轄領の年貢増徴と新田開発の推進によって収入増加をねらった。(略)「米将軍」とよばれたように、低落傾向にあった米価の維持・調節をはかった。大坂堂島の米市場の相場を公認したのはその例である。
 (上米の制とは)諸大名に1万石あたり100石の米を上納させた。そのかわりに、参勤交代を在江戸半年、国元1年半とした。

 意次は、収入源をもっぱら土地からの年貢に求める従来のやり方を改め、年貢に加えて経済・流通政策による収入も重視した。都市の商工業者や在郷町の商人らに株仲間の設立をすすめ、営業独占を認めるかわりに運上・冥加を上納させた。特定の御用商人に銅・鉄・真鍮・朝鮮人参などの座をつくらせ、流通の統制と運上徴収をはかった。また、はじめて南鐐二朱銀などの計数銀貨を鋳造させ、金銀通貨の一本化をねらった。
 意次は貿易に熱心で、銅座に貿易用の銅の独占確保をおこなわせたほか、俵物会所を設けて俵物の輸出を奨励した。


 吉宗による米価の維持・調整は収入増加政策と明記はされていないが、年貢米を換金していたことを考えると、米価が高いほうが収入が増加するわけだから、これは収入増加のための政策といえる。

 これを200字程度でまとめる。

<野澤の解答例>
 享保改革では、上米の制によって諸大名から米を上納させる一方、定免法の採用による幕領からの年貢増徴と新田開発の推進をはかった。また米価の維持・調節をはかり、大坂堂島の米市場の相場を公認した。田沼政権では、経済・流通政策による収入も重視し、商工業者に株仲間の設立をすすめ、営業独占を認めるかわりに運上・冥加を上納させた。また銅座や朝鮮人参座などを設けて専売にするとともに、長崎貿易にも力を入れ、銅や俵物を輸出して金銀の輸入をめざした。(213字)

 実教の教科書の記述では、長崎からの俵物の輸出によって、金銀の輸入をはかったことは文中にでてこないが、これは受験生の常識として解答例の中で使用した。

2011.2.26


 
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