2011年度大学入試センター試験『日本史B』問題解説

日本史B

 大学入試センターが発表している平成22年度の「試験問題評価委員会報告書」の「問題作成部会の見解」に
平均点で 60 点台を回復することができた。標準的な問題を作成できたという実績を教訓に、今後も平均点が低下することがないように配慮したい。」とあったことから、昨年度より難易度は上がらない、むしろ易化すると考えていたが、ぼくの感覚ではここ数年で一番やさしい問題であったと思う。

第1問
問1.@が正解。猫問。新嘗祭と祈年祭の正誤問題ならまだしも、怨霊鎮めである御霊会と間違えば論外である。奈良の大仏が平等院鳳凰堂などの阿弥陀如来だったら、ちょっと怖いだろう。
問2.Dが正解。猫問。Tは関東+新皇で平将門だと分かる。Vの公営田は9世紀前半→Tの将門の乱は10世紀半ば→Uの平家が多くの知行国を得たのは平安末期である。
問3.Aが正解。これも猫。問われているのは中世、つまり鎌倉・室町時代ではないものである。蝦夷地の産物が俵物として長崎から輸出されたのは、江戸時代である。田沼意次が奨励したことを考えれば分かる。
問4.Bが正解。これまた猫。荏胡麻と菜種なら迷ったかもしれない(中世の油は荏胡麻、近世は菜種)が、楮は和紙の原料である。ガス灯か電灯かは、猪苗代・東京間の送電(水力発電)に成功したのが、大戦景気のころだというのを考えたら分かる。冷静に考えたら、ついこの間(江戸時代)まで菜種油の行灯で生活していたのが、すぐに電力が中心の生活になるとは考えられないだろう。
問5.Aが正解。Xは富岡製糸場の労働力が士族の女子であったことや女工哀史からイメージできる。Yも女工哀史。だいたい3交代の8時間労働なら今と変わらないでしょう。大阪紡績会社でさえ2交代制である。
問6.@が正解。教科書(山川)の本文中に「輸入の紡績機械・蒸気機関を用いた」とある。Aは長距離送電はその通りだが、水力発電である。Bは第二次世界大戦中に日本も原子力発電ができたのなら、原爆をつくっていたであろう。原子力発電は通史編の「現代編5 戦後日本の経済成長/戦後の文化」に「原子力に関してはセンター出題済。神武景気中の1955〜1956年に、原子力基本法、原子力協定、原子力研究所(東海村)と相次いだ。」と書いたとおり。原発の建設が進んだのは1960年代である。Cは政治経済を学習していない現役生には少し難しかったか。第二次石油危機は1979年のイラン革命に際してである。イラクのクウェート侵攻は湾岸戦争(1991)の原因であり、これがもととなって日本は翌1992年にPKO協力法を成立させた。

第2問
問1.Bが正解。太占と盟神探湯というスーパー猫問題。解説の余地なし。
問2.Aが正解。これまた猫。「古墳時代前期の副葬品は鏡や勾玉→司祭者的君主。中期は武器や馬具→軍事的君主。後期は有力農民も小さな古墳を作るようになった→群集墳」は基本中の基本。
問3.Aが正解。甲=門と楼閣を構えた施設、乙=平野に点在する竪穴住居、丙=塔のある伽藍と、a=平城宮、b=寺院、c=民衆の住居とを結ぶ問題。かつて理科総合で「太陽は東と西のどちらの方角から昇るでしょう」という内容の問題があったが、それに匹敵するサービス問題だった。
問4.Bが正解。子猫の問題。史料の法令は墾田永年私財法であり、三世一身法が出されたのはこの20年前
問5.Cが正解。@の空海が唐で密教を学んだのは常識。Aの円珍は最澄の弟子とはっきり書いてあるのだから、天台宗に決まっている。これを違った人は、おそらくきちんと問題を読んでいない。もったいなかったね。Bについて。以前から何度も正誤問題の細かい年代はあっている。大ざっぱは時代区分(何世紀のいつごろ)は疑え」と言ってきた。まさにそれ!鑑真が来日したのは天平時代(奈良時代)だから700年代、8世紀である。
問6.Dが正解。Vの初期荘園は班田農民に賃租することで運営していたので、班田収授法の崩壊で衰退し、その初期荘園の衰退後、Tの寄進地系荘園の時代となり、その結果、巨大な荘園領主となった有力寺院は、U平安時代末期には、荘園の境界を巡って強訴するようになった。(僧兵の強訴による朝廷への要求とは、荘園の境界争いである。入試問題解説 2006年度 『東京大学 その2』参照

第3問
問1.Cが正解。スーパー猫問。奥州藤原氏=中尊寺金色堂は中学校の教科書にも出ている高校入試レベル。北条義時の直系が得宗と呼ばれたのも基本だが、間違っても侍所や政所の長官をさす別当(検非違使の長官もそうだが)は選ばないだろう。
問2.Aが正解。一瞬@に手が動きそうになった。承久の乱までは鎌倉幕府はあくまで東国政権だったので、@の「東国以外にも支配を広げた。」に×をつけそうになったが、諸国に守護・地頭を設置したのは確かであるから、ここは保留。Aの六波羅探題は、承久の乱の結果なので、明らか頼朝ではない。結果的に猫問である。
問3.Bが正解。これまた猫問。Xは寧波の乱の寧波を選ぶ。Yは応永の外寇の対馬を選ぶ。基本中の基本。
問4.Cが正解。猫問。ウに該当する中世の常設店の見世棚は基本ではあるが、何より掛屋が「蔵元・掛屋+札差」という江戸時代の流通のキーワードであることから、消去法でも選べる。エは貨幣の流通を円滑にしようとしたのだから、貨幣の交換比率等を定めた撰銭令に決まっている。借金棒引き令ともいえる徳政令は、中学校の教科書にも出ている。
問5.Bが正解。猫問。@の聚楽第は織田信長ではなく豊臣秀吉。Aの東西の市、市司は古代(奈良時代)の話。Bは正解だが頻出。Cの「花の御所」が足利義満の京都室町に造営した邸宅で、ここで政治が行われたことから室町幕府と呼ばれるようになったことは、中学校のレベル。
問6.Aが正解。Tの「鳥獣戯画」は「信源伴鳥」(しんげんばんちょう)の平安末期の絵巻物の一つ。Vの「唐獅子図屏風」は桃山時代。そして日光東照宮は江戸時代の寛永期の文化である。それぞれ各時代の基本であり、迷う余地なし。 

第4問
問1.Cが正解。アは「享保の改革を理想とする」で寛政の改革だと分かり、松平定信が導ける。イは単純に宝暦事件が竹内式部が尊王論を説いて追放になった事件だと確信が持てなくても、何となく尊王運動が弾圧されたんだよな、で解ける。大規模な飢饉がきっかけで尊王運動が弾圧されるか、打ちこわしが起こるか、どちらだと思いますか、というレベルの問題。あ〜、猫が歩くね。
問2.Aが正解。T:フェートン号事件=1808年→V:異国船打払令=1825年→U:天保の薪水給与令=1842年という基本問題。
問3.Aが正解。少し手が止まったか。@は日朝貿易は対馬の宗氏がしきったことを考えれば×だと分かる。Bは、寛永期に中国船の来航を長崎に限定したのは事実だが、何より江戸時代、日本は中国と朝貢貿易をしていない。Cのオランダ風説書の提出は、オランダ船の入港のたびに、出島のオランダ商館長が提出したレポートだと教科書(山川)本文にも、ぼくの通史編にも書いてあり、オランダ国王の親書ではない。なお、この琉球が薩摩に征服された後も、独立国の対面を保って中国との朝貢貿易を続けたことについては、入試問題解説 2006年度 『東京大学 その3』参照
問4.Bが正解。猫問。X=末期養子の禁の緩和→徳川家綱。Y=上米の制→徳川吉宗。それだけ。
問5.Aが正解。基本。Yは閑谷学校が郷学なのはそのとおりだが、藩学(岡山では花畠教場)と郷学の違いは、基本的に庶民にも門戸が開かれたか否か。郷学=庶民可である。
問6.Bが正解。やや難か。aについて。朝鮮から伝わった活字印刷術でつくられたのは慶長版本(慶長勅版:勅は後陽成天皇の勅)であり、キリシタン版がバリニャーニの金属製活字によるものであることは基本。これはbだと分かる。問題はc・dである。
 dは、シーボルトが長崎郊外に鳴滝塾を開いて西洋医学を教授したのは事実であるが、杉田玄白との関わりはない。しかし、これを受験生に判断せよというのは、やや酷だとも思われる。cが明らかに正しいことで、b・cのBだと見込みを付け、その上で、玄白がその回顧録『蘭学事始』で、『解体新書』を翻訳しようと決心したのは、『ターヘルアナトミア』を手に腑分けを見聞して、その正確さに驚いたからだと書いていることから、「どうも玄白は、きちんと師について西洋医学を学んだわけではないのではないか。」と判断できるかどうかが鍵である。

第5問
問1.Cが正解。Xは五稜郭に立てこもった榎本武揚が幕府からのオランダへ留学したことなどを考えたら誤だとわかる。(エピソード 「榎本武揚と黒田清隆」参照)また、長州藩も伊藤博文らをイギリスへ送っている。Yの中江兆民はルソーの民約論を『民約訳解』と翻訳し、「東洋のルソー」と呼ばれた。それに功利主義はイギリスである。「本当に誤・誤なの?」と少し怖かったかもしれない。
問2.Bが正解。会社設立ブームは鉄道と紡績は基本。これで@・Aがなくなる。Cは第1問の問6とだぶっている。大阪紡績会社を考えたら○とわかる。Bのコンツェルン形態の企業は、いわゆる四大財閥の形成であり、日露戦争ごろの第二次産業革命期である。
問3.Aが正解。基本。通史編の「近代編前期9 近代産業の発展と社会運動の発生」で「中学校の教科書にも出ている八幡製鉄所が中国の大冶の鉄鉱石と筑豊炭田を利用したものであることは、言うまでもない」と書いたとおり。
問4.Cが正解。子猫。中学校の教科書でも第3次桂太郎内閣が倒れた大正政変は、立憲政友会を中心とする第一次護憲運動の結果としてでてくる。通史編の「近代編後期1 桂園時代と大正政変」で、「第一次護憲運動のスローガン(「閥族打破・憲政擁護」)と中心となった人物と政党名の組合せ(「立憲政友会=尾崎行雄」「立憲国民党=犬養毅」)は絶対!」と書いたとおり。

第6問

問1.Aが正解。基本というより猫。アの地方改良運動は、覚えていなかった人がいたかもしれないが、自由民権運動の1つである大同団結運動と間違えた人はいないだろう。消去法で分かる。イの船成金は中学校の教科書にも登場する常識。
問2.Cが正解。猫問。鈴木梅太郎=オリザニン。志賀潔=赤痢菌。もし、北里と志賀の判断をさせる問題なら、迷った人もいたかもしれないが、野口英世と志賀なら間違えようがない。
問3.Eが正解。これはまじめに勉強している受験生へのサービス問題。なぜなら大正・昭和の恐慌の並び替えを何度も確認していなかった受験生はいないだろう。そういう意味では好感の持てる問題であった。V震災恐慌→U金融恐慌→T昭和恐慌である。
問4.@が正解。基本。ウの禁輸出再禁止を行った蔵相が高橋是清なのは常識。ダミーの石橋湛山は、「東洋経済新報、小日本主義、戦後岸信介内閣の前の総理大臣」がキーワード。エは日英同盟がワシントン会議の四カ国条約で廃棄になってことを考えたら、消去法で解ける。
問5.Cが正解。基本。グラフがなくても知識で解けるレベルであった。さらにa、bはグラフの読み取りのまま。c、dは「ドッジライン→インフレ収束→ドッジ不況」という基本知識でOKだし、それが1948年だと分かればグラフからも読み取れる。
問6.Aが正解。基本中の基本。沖縄返還は佐藤栄作内閣。
問7.Cが正解。消去法で簡単に解ける。@のプラザ合意は1985年。Aの足尾鉱毒事件は明治時代。Bの破壊活動防止法は環境問題には関係ない。
問8.Bが正解。基本。Xは固定相場制から変動相場制になったという流れを考えたら誤だと分かる。Yはエピソード「トイレットペーパー狂想曲」参照。


 振り返ってみると、「猫、猫、子猫」と書きまくっているが、そもそも大学入試センター試験(かつての共通一次)は、大学入学資格試験として、大学で学ぶことができる最低限の学力を身に付けているかを確認する試験だったはずである。それが早稲田・慶応など難関私大の参入を求めるためであろう、次第に難化していき、いつの間にか大学のランク付けテストのようになってしまった。
 考えてみれば、「日本史の基本的な流れが理解できていれば満点がとれますよ。難関大学へ合格できるかどうかは、二次試験をがんばりなさいね。」といった感じの今年度の問題こそが、本来のセンター試験の趣旨にあっているとぼくには思える。

2011.1.17

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