『現代編2 占領と改革2(逆コースと戦後経済の再建)』

   ノートのP.137〜138の中心は、いわゆる『逆コース』の流れの中の、戦後経済再建への取組である。

(P.137〜138)

 内閣の流れ 
(1)片山哲内閣
 新憲法下の衆参両議院選挙の結果、日本社会党が第一党となり、民主党国民協同党と連立を組んで、初の社会党政権である片山哲内閣が誕生した。
 この内閣のもと、戦前の法制度の大幅な改革が行われる。その例が「警察法改正→自治体警察と国家地方警察に分立(1954年、新警察法で自治体警察廃止。131頁)」「民法改正→『家』制度(戸主制)廃止」「内務省解体」そして「地方自治法成立→都道府県知事公選制となる(戦前は任命制)」である。
 しかし、より積極的な社会主義政策を主張する「党内左派」という、言ってみれば「身内の攻撃」で、日本最初の社会主義政権はあえなく倒れる。

(2)芦田均内閣
 次いで全く同じ3党連立で、民主党の芦田均内閣が成立した。芦田内閣の時出された政令201号で、国家公務員法が改正され、公務員が争議権を失うことになった。芦田内閣は昭和電工疑獄事件で倒れるが、この事件は復興金融金庫からの融資をめぐるものであった。この復興金融金庫とは何かが、『戦後経済の再建』の項で重要になる。

(3)第2次吉田茂内閣
 この後、民主党からの脱党者を吸収した日本自由党改め民主自由党の吉田茂が、第2次吉田内閣を組織する。この第2次吉田茂内閣に対して、GHQから経済安定九原則が示される。
 背景には日本が再び軍事大国になることを恐れ、日本の経済力を低く抑える方針であったアメリカが、ソ連に代表される共産主義との対決のため、日本の自立と再軍備を求めるようになったことがある。この動きの中で、官公庁や職場から共産主義者(党員)を追放する『レッド・パージ』の風潮が高まっていく。(エピソード「レッド・パージと映画」へ)
 こうした一連の流れを「逆コース」と言う。「国鉄をめぐる3つの怪事件」(第3次吉田内閣/P.138)が教科書に取り上げられるのは、これらの事件が「共産党とレッド・パージ」に関わると考えられたからである。真相は分からなかったが、労働側には打撃となった。)
 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決が出され、東条英機、広田弘毅ら7名が死刑となったのも、第2次吉田内閣の時であった。

 戦後経済の再建 (P.137)
 戦後、「軍隊からの復員」「外地からの引揚げ」で人口は膨れ上がり、日本経済は混乱を究めた。この時代を象徴する言葉は「バラック生活」「買い出し」「竹の子生活」である。
(1)まず、幣原喜重郎内閣の時、インフレを抑えるため預金封鎖新円への切り換えを内容とする金融緊急措置令が出されたが、効果は一時的であった。
(2)政府は、重要産業を重点的に復興させることを目指して傾斜生産方式を採用。石炭鉄鋼・電力・肥料(化学肥料)を対象として、企業に融資を行った。このための政府による金融機関が復興金融金庫である。
 (先の昭和電工は、化学肥料会社であり、この復興金融金庫からの融資を巡る疑獄事件であった。)この資金の投入は結果として、インフレを助長(復金インフレ)することとなった。
(3)国民は占領地域救済資金(ガリオア資金)や占領地経済復興援助資金(エロア資金)による食糧の緊急輸入で、集団餓死を免れる状態であった。
(4)このような中で、経済安定九原則1948)が出される。これは指示・勧告ではなく命令であった。「均衡予算」や「徴税の強化」、「外国為替管理の強化」、「資材割当てによる輸出増加策」などを内容とするものであった。これを具体的に体現したものがドッジ・ラインシャウプ勧告である。
@ドッジ・ラインは、「全く赤字を許さない均衡予算」を作成させるとともに、日本の輸出を伸ばすために単一為替相場(単一為替レート)制度」を導入した。その実施において「1ドル=360円」に設定された。これによりインフレは収束したが、今度は「ドッジ不況」と呼ばれる深刻な状態となる。
Aシャウプ勧告(1949)は、それまでの間接税中心主義から直接税中心(所得税中心)に改め、徴税を強化するものであった。間接税では国民が物を買わなければ税収はないが、所得税ならいくら国民が貧しくても確保できるでしょう。ですから竹下登内閣の消費税導入は、このシャウプ勧告以来の大型税制改革(のはず)だったのです。

 国際情勢の変化 
 冷たい戦争(冷戦)については、両陣営の用語を正確に。チャーチルの「鉄のカーテン」演説は有名だが、資本主義陣営(西側)は「トルーマン・ドクトリン=ソ連封じ込め政策」と「マーシャル・プラン=アメリカによる西ヨーロッパへの経済援助」の区別をしっかり。  
 一方、社会主義陣営(東側)のコミンフォルムは、戦後のヨーロッパの共産党の情報局。正誤問題でコミンテルンとかけられることがあるが、「コミンテルン(国際共産党)→日本共産党結成(1922)」で、区別したい。
 冷戦下のアジア情勢については、朝鮮半島(朝鮮民主主義人民共和国=金日成⇔大韓民国=李承晩)と中国(中華人民共和国=共産党/毛沢東⇔中華民国=国民党/蒋介石→台湾へ)という国名・代表者の組合せを押さえておくこと。

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