『現代編1 占領と改革1(占領と五大改革指令)』


 第11章 占領下の日本

【1】 占領と改革(「民主化」から「逆コース」へ)
 (P.135〜136)

 
まず日本占領の絶対的キーワードは、『日本本土は間接統治沖縄・小笠原諸島は直接軍政』である。

1 内閣の流れ
(1)東久邇宮稔彦内閣

 降伏文書に調印し、マッカーサーが厚木に着任した時の首相は、皇族の東久邇宮稔彦であった。GHQによって出された「占領軍に対する批判の禁止=プレス・コード」と「共産党員の追放=レッド・パージ(日本が占領下から抜け出すころのことであり、後の話。138頁参照)」の正誤問題がある。
 間接統治の仕組みでは、GHQの日本語正式名称(連合国軍最高司令官総司令部)を書かせる大学が、地元松山などにたまにあるが、大切なのは「ワシントンにあるのが極東委員会」「東京にあるのが対日理事会」の区別。
 「一億総ざんげ」「国体護持」を唱える東久邇宮内閣は、GHQの「政治犯の釈放、治安維持法廃止、内務省解体」などの指令の実行をためらい、総辞職する。

(2)幣原喜重郎内閣
 次いで首相に就任したのは、協調外交で欧米にも評価の高かった幣原喜重郎である。
 この幣原内閣に対して、マッカーサーから五大改革指令が出される。この五大改革指令の内容とその展開は、別に解説する。
 幣原内閣の時、1946年元旦に昭和天皇自らが人間宣言を行い、神格性を否定した。同年1月から、戦争協力者・職業軍人等の、政・官・財・言論界などの公職からの追放が始まった。4月に行われた新選挙法(20歳以上の男女に普通選挙権)での初の総選挙では、39名の女性代議士が誕生した。
 さらに極東国際軍事裁判(東京裁判)が始まった。

(3)第1次吉田茂内閣
 戦後初の総選挙で衆議院第一党となったのは、鳩山一郎が創設した日本自由党であったが、鳩山自身が公職追放となったため、吉田茂が第一次吉田茂内閣を組閣した。
 第一次吉田内閣のキ−ワードは日本国憲法公布1946.11.3)である。また二・一ゼネスト中止指令がGHQから出され、日本は占領下であることを国民が改めて実感したのも、この吉田内閣の時のことである。

 五大改革指令
 五大改革指令の内容を正誤問題で聞かれると、ダミーは多分『天皇の人間宣言』である。
 具体的内容とその成果は、次の通り。
(1)婦人の解放としては、女性にも選挙権を認めた新選挙法(20歳以上の男女に選挙権)があげられる。この新選挙法による衆議院議員選挙で、女性代議士が39名誕生した。(エピソード「日本女性は恋愛表現が貧しいかー小津安二郎の『奥ゆかしさ』ー」へ)
(2)圧政的諸制度の撤廃は、政治犯の釈放、特別高等警察廃止、治安維持法廃止など。意外な盲点は、この時治安警察法も廃止された。つまり治安警察法は、戦前ずっと生きていたということである。
(3)教育の自由主義化は、注意が必要。「アメリカの教育使節団が来日」、「教育基本法=義務教育9年、男女共学」、「学校教育法=六・三・三・四の新学制」、「教育委員会法=公選制→任命制1956)」
 かつて朝鮮戦争が勃発した年(1950)に生まれた子どもが、小学校に入学した時は、教育委員は任命制であったかどうかを判断させる問題が、センターで出た。この子の小学校入学時は1957年。よってすでに任命制である。
(4)労働組合の結成は、いわゆる労働三法と労働省設置(1947)。労働組合は次々と結成され、全国組織として1946年に右派の日本労働組合総同盟と左派の全日本産業別労働組合会議が結成された。
 労働関係は無産政党のこともあり、ややこしい。とにかく絶対なのは、明治時代(116頁)の「労働組合期成会1897)=高野房太郎」と大正デモクラシー(124頁)の「友愛会1912)=鈴木文治」である。

(5)経済の民主化は、財閥解体農地改革である。これを136頁で詳しく取り上げている。
@財閥解体の組織は持株会社整理委員会であり、基本法が独占禁止法過度経済力集中排除法である。正誤問題のポイントは、「集中排除法の指定を受けた企業の全てが、分割されたのではない」こと。「大銀行が対象外となった」こと。そして「独占の制限は次第にゆるめられていった」ことである。
A農地改革のポイントは、「第1次も第2次もどちらも不在地主は認めていない」こと。「第2次へ臨んだのは、GHQの指示があった」こと。「第2次の結果、在村地主の小作地は全国一律1町歩ではない(北海道は4町歩)」こと。「山林には着手されなかった」こと。そして「農地改革の結果、小作地が全てなくなったわけではない」ことである。

 日本国憲法の制定
  細かい流れを言うときりがない。戦争放棄が第9条なのは猫でも知っているので、正誤問題のポイントだけ。GHQは明治憲法の部分的字句の修正に過ぎなかった松本案を拒否し、民間の私擬憲法を基にGHQ案を作成。これをもとにした憲法草案が、最後の帝国議会で可決され成立した。
 注意すべき点は、五大改革指令の婦人の解放での新選挙法により実施された衆議院議員選挙の方が、日本国憲法成立より先である。つまり、女性代議士39名は、最後の帝国議会の議員として、憲法の審議、裁決に参加している

2010.3.5改訂

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