頂いた質問から(6)
『冷戦と日本について』

 
 次のようなお便りを受けました。ちなみに質問者は「コラム 頂いた質問から(4)」と同じ女子生徒です。

<頂いた質問>

 こんにちわ。以前質問した事があるんですけど、M(ここは実名が書いてあります)といいます。 4月から中三で受験生となりました。
 それで最近やっと歴史が全部終わったのですが、最後の方でやった、
冷戦くらいの部分で先生がずっと 「西側勢力が〜・・・、〜が日本とアメリカの方について〜・・・、〜を東側に取り込んで〜・・・ 」などといっていました。 日本とアメリカが西側勢力と言うのがよくわからないし、その冷戦やその後の紛争(戦争?)や条約(?) などの関係でどちら側についた。という状況がよくつかめません。
  簡単に説明してもらえないでしょうか。お願いします。
 


<野澤の回答>

 こんにちは。お久しぶりです。
  さて、西側、東側ですが、正直言って意外な質問でした。ぼくたちにとっては当たり前の言葉でも、中学・高校生には新鮮な言葉なのだと再認識しました。おそらくMさんの先生もぼくと同じで学生時代には、まだ東西の対立というのが現にあって、歴史というよりは時事問題であったのだと思います。ぼく自身も「いちいち説明しなくても、分かるだろう。」と、授業で「西側とは何か」と詳しくは説明してきませんでした。でも、今の若い人にとっては、これも歴史用語なのですね。

  それでは、本題に入ります。

  第二次世界大戦が終わるころ、すでにアメリカとソ連の間では戦後の国際関係をにらんで対立が起こっていました。アメリカは個人の財産を自由に認める資本主義国家(自由主義陣営とも言います)、ソ連は個人の突出した財産を認めず、富はみんなで分けようとする共産主義国家であり、政治のシステムが全く違いました。

 両国は、自分の味方の国を増やすことに力を入れます。 そのため、ヨーロッパの西側の国、具体的にはイギリス、フランスなどを、アメリカは味方として支援しました。これらのアメリカ側に立つ資本主義国家を西側陣営(西側勢力、諸国)と言います。イメージとしては西ヨーロッパの国々はアメリカ側だったと考えてください。
 一方、ソ連は自分に地理的に近い東ヨーロッパの国々を実質的に支配し、共産主義の国を作り上げていきました。具体的にはポーランドより東側の国々で、これらを東側陣営(東側勢力、諸国)といいます。
 敗戦国であり、西側のフランスと東側のポーランドの間にあったドイツは2つに分けられてしまいます。(西ドイツ、東ドイツ)

  ソ連とアメリカは互いを牽制するためにも核兵器の開発に力を入れます。この資本主義陣営(西側)と共産主義陣営(東側)の対立を「冷たい戦争(冷戦)」と言います。

  資本主義と共産主義の対立は世界各地でおこりました。中国では毛沢東の共産党が資本主義側である国民党を国内の戦争(内戦)で破り、中華人民共和国(今の中国)を建国(1949)し、国民党は台湾に逃れました。(これが今の中国と台湾の対立の始まりです。)
 日本の植民地であった朝鮮半島でも、北緯38度線より南はアメリカが占領して韓国が、北側はソ連が占領して共産主義の国である北朝鮮ができました(1948)。
 その一方でアメリカは、地理的にはソ連に近い日本を、戦後はアメリカ側(西側陣営)にすることを戦争終結前から目指しており、ドイツや朝鮮半島のようにソ連とともに占領するということをしませんでした。 

 1950年、アメリカ側である韓国と、ソ連側である北朝鮮との間で戦争が起こりました。朝鮮戦争です。アメリカは国連軍としてアメリカ軍を派遣し、北朝鮮は中国軍の支援とソ連の武器援助を受けて戦いました。
 このような中、アメリカは日本をアメリカ側(西側陣営)の国として独立させることを急ぐようになりました。 1951年、サンフランシスコ講和会議が開かれ、日本はアメリカなどとサンフランシスコ平和条約を結んで独立しました(占領下から抜け出した)。同時に日本はアメリカと日米安全保障条約を結び、独立後もアメリカ軍が日本に駐留することになりました。
 もちろん、アメリカ側(西側陣営)になる日本の独立をソ連は認めませんから、ソ連などは平和条約に調印しませんでしたし、日本は国際連合(1945年に発足)への加盟もできませんでした。 

 1953年、朝鮮戦争が終わり、少しずつ冷戦の緊張がゆるんできました。アメリカとソ連は平和共存(お互いの存在を認め合っていく)へと向かうことになりました。

  冷戦の緊張が緩和される流れの中で、日本はソ連とも国交を回復し(日ソ共同宣言)、ソ連の承認を得て、国際連合への加盟を認められました(1956) 。

 しかし、東西の対立(共産主義諸国と資本主義諸国の対立)がなくなったわけではありませんでした。
 インドシナ半島のベトナムでは、資本主義の南ベトナム(ベトナム共和国)と共産主義の北ベトナム(ベトナム民主共和国)が対立しており、アメリカは南ベトナムを支援するために北ベトナムを爆撃機で攻撃します(北爆)。一方、北ベトナムは中国の支援を受けました(1965)。このベトナムを巡るアメリカと北ベトナムの実質的な戦争をベトナム戦争と言います。北爆には沖縄にある米軍基地も使用され、日本でも抗議行動がおこります。
 政府はベトナム戦争を含むアメリカのアジア政策に協力する立場から、同じ資本主義の国である韓国と国交を結びました(日韓基本条約、1965)。 

 しかし、ベトナム戦争は長期化し、アメリカ経済は膨大な軍事費などにより赤字が続き、危機的状態になりました。アメリカはベトナム戦争を打開するため、北ベトナムの支援国である中国(中華人民共和国)への接近をはかります。それまでアメリカは共産主義国家である本土の中華人民共和国を正式な国として認めず、資本主義である台湾の政府を正当な中国政府だとしてきました。しかし、台湾政府を否定して中華人民共和国を正式の中国政府として認めることで中国と和解(1972)し、これをもとにベトナム戦争を終結させました(1973)。

  日本もアメリカと同様に中華人民共和国を正式な政府として認め、1972年に日中共同声明を発表し国交を樹立し、1978年には日中平和友好条約を結びました。

  1989年から1991年にかけて東西ドイツの統一やソ連の崩壊などによって、かつてのソ連を中心とする東側陣営というものはなくなり、冷戦は終わりました。

 これでよろしいでしょうか。


 高校レベルではこれに、国内経済の状況(経済安定九原則、ドッジ不況、ニクソンショック等)や、第三勢力(アジア・アフリカ会議)の登場、そしていわゆる「民主化から逆コース」(現代編2『占領下の改革2(逆コースと戦後経済の再建)』、 現代編3『国際社会への復帰』)などが絡んでくる。それらを省いて、「東西対決と冷戦→デタント(緊張緩和)→日本の国際社会復帰→アジア諸国との関係→冷戦の終結」という外交関係に絞った。しかし、これがなかなか難しく、まとめるのに結構時間がかかった。
 生徒に理解させるために、まずは大きな流れをつかませるのだと分かっているつもりではあった。しかし、今回そのことを再認識した。ぼくにとっても勉強になる質問であった。

(2005.5.14)

コラム目次へ戻る
トップページへ戻る