エピソード 『好色五人女と八百屋お七』

 井原西鶴の代表作である『好色五人女』に、恋しい人を救いたいがため、雪の降る中、火見櫓の太鼓を打って木戸を開ける八百屋お七の話がある。物語の内容を具体的に話しだすと、僕が燃えそう(物語では放火ではなく、火事でもないのに半鐘を叩いたことで罪となる)なのでやめておくが、知っての通りこの話にはモデルがいる。
 話はいろいろに言われているが、一番真実に近いかな、と思える説が次のものです。

 天和2年(1682)の12月28日、江戸に大火があった。お七の一家も焼け出され、一家で近所のお寺に避難した。その時お七は一人の若い僧に一目惚れしてしまう。年明けて家が再建され自宅に戻ったお七だが、その僧のことが忘れられない。やがて思いがつのり、もう一度火事が起きたら彼に会える、という思いから自宅に火をつけてしまう。しかし燃え始めた途端、お七は自分がしたことが恐くなり、すぐに近くの火見櫓にのぼって半鐘を叩いた。おかげで人々が駆けつけてきてすぐに火を消し、大したこともなく終わった。しかし、お七は火付けの大罪を犯したとして、奉行所の取り調べを受けた。取り調べをした奉行はお七が非常に若く、幼い恋心がしでかしてしまったことにいたく同情した。しかもお七は16歳。本来ならば放火犯は火あぶりの刑と決まっているが、15歳以下の年少者は罪一等を減じるという規定を使いたいと思った。(つまり江戸時代にも少年法はあった。)しかしお七はそれに対して、自分は確かに16歳であると主張。何なら生まれた時のお宮参りの記録を見てくれとまで言い、やむを得ず奉行は、規定通りお七に死刑とした。火刑はこの年、天和3年(1683)の3月29日に鈴ヶ森刑場にて行われた。
 お七がしでかした火事は、江戸を燃やす大火となったという説もあるが、もし本当に大火となったのなら、いくらお七が年少でも奉行が情けをかけるはずはないから、ボヤ程度だったというのが真相だろう。なお、お七が一目惚れした相手は、西運という僧で、このお七のこともあって厳しい修行を積み、のちにたいへん偉い坊さんになったそうな。

 ところで、お七ってどんなイメージ?鈴木春信の浮世絵(化政文化参照)のように、抱きしめたら折れそうなオードリー・ヘップバーン型の美少女でしょうか?お七について、『曳屋庵我衣』は、「一体ふとり肉(じし) にて少し疱瘡(あばた)のあともありしといえり。色は白かりけれどもよき女にてはなかりし」 と述べています。まあ、現実はそんなもんさ。

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