(P.65〜66)
1 建築
この時代を代表する建築物は、天守閣に象徴される城郭建築である。遺構の組合せ(聚楽第→西本願寺飛雲閣・大徳寺唐門。伏見城→都久夫須麻神社本殿・西本願寺唐門)も出題される。
千利休の2畳の茶室である妙喜庵待庵は、必須。
2 絵画
障壁画(城郭の中の襖や屏風に描かれた絵)と濃絵(障壁画に描かれた、金箔地に青や緑で彩色した極彩色の絵)の区別を正確に。
狩野永徳『唐獅子図屏風』は、写真で判断出来なければならない。狩野山楽は『松鷹図』、『智積院襖絵』と『松林図屏風』の長谷川等伯は「雪舟5代と自称」がヒントになることもある。なお、等伯の『智積院襖絵」は濃絵だが、『松林図屏風』は水墨画である。実はぼくは、長谷川等伯の『松林図屏風』を東京国立博物館で見て、一目惚れした!素晴らしく遠近感があって、水墨画なのに色が見えるようだった。
また狩野永徳の『洛中洛外図屏風』が写真で出題されたら、桃山文化の時代の京都の様子だと見抜けなければならない。祇園祭(←京都の町衆が再興)や左義長の様子も描かれている。
南蛮屏風は、日本人の手による西洋人の風俗を描いたものであって、南蛮貿易の輸入品ではない。
3 彫刻
彫刻は「欄間彫刻」という言葉のみである。欄間とは、部屋と部屋の境目等で天井と鴨居との間に設けられた部分。そこに施された彫刻をいう。
4 工芸
高台寺蒔絵は「秀吉の北政所の遺品」で一問一答。
陶器は、秀吉の朝鮮侵略の影響で発展するが、入試のポイントは「この朝鮮侵略に関係ない陶器」である。大抵、答は瀬戸焼(鎌倉時代からある)であることが多いが、他に信楽焼や備前焼も答になり得る。
5 出版・印刷
活字印刷術には、2つのルートがあることを知っていなければ混乱する。
(1)朝鮮ルート(朝鮮侵略の影響)=木製活字→慶長版本(後陽成天皇の勅)
(2)ヴァリニャーニ(宣教師)のルート=金属製活字→キリシタン版(天草版)
である。ヴァリニャーニは、天正遣欧使節と合わせてと2カ所で登場する。キリシタン版では、ローマ字によるキリスト教教義の本(どちりな・きりしたん)などが出版された。
6 侘び茶
侘茶は、例の「村の田んぼに竹の子千本」(室町文化2参照)のトリ、千利休である。秀吉の北野大茶会もたまに出る。(エピソード「利休の死」へ)
7 歌舞伎
最大の大物は歌舞伎。この機会に元禄時代までの歌舞伎の変遷をしっかりと覚えておきたい。
「阿国歌舞伎(出雲阿国)→女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎」と、要は風俗営業をしにくいようになっていった。よく分かりません?
阿国歌舞伎は、念仏踊り(踊念仏ではない!)に簡単な振り付けをしたものだった。その後、女の子が踊るようになったが、客を集めようとすればどうすればいいか?簡単です。風俗営業をすればいい。それで禁止になった。次いで美少年が踊るようになったが、これも風俗営業をするので禁止。そういうわけで江戸時代初期までに、男ばかりの歌舞伎となった。
8 その他の芸能
人形浄瑠璃は、この時代に琉球伝来の三味線の伴奏がついて、メジャーになっていく。琉球を台湾とかける正誤問題に注意。高三隆達による隆達節は、小歌に節付けの一問一答。
9 生活
女性の衣服としての、小袖、打掛は知っておきたい。正誤問題では、都市では板葺屋根の他、瓦屋根も使われるようになり、二階建て住居も現れたが、農村ではやはり萱葺屋根・平屋であった。(もちろん○)このイメージを持って欲しい。(エピソード「南蛮文化」へ)
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