3 東山文化 (P.56〜57)
特徴は「幽玄、枯淡」。もちろん8代足利義政の慈照寺銀閣を中心とする文化である。
(1) 建築
金閣同様、銀閣寺は×。「しょせん銀閣」→「書院造(1F)→禅宗様(2F)」までおさえたい。
しかし建築の目玉は何といっても「書院造=慈照寺東求堂同仁斎」である。脊髄反射で答えられるように。慈照寺という寺に銀閣という建物と、義政の持仏堂(普段拝んでいる仏像を安置している)である東求堂という建物がある。その東求堂の中に同仁斎という書院造の部屋がある。「慈照寺にある東求堂の中に同仁斎という部屋」がある。
「慈照寺境内図」より。慈照寺という寺の中に銀閣と東求堂という建物がある。 | 「しょせん銀閣」→「書院造(1F)→禅宗様(2F)」 | 東求堂。これが写真で問われることはないが、この中に同仁斎という書院造の部屋がある。 |
(2) 庭園
枯山水という言葉は、小学校の教科書にも載っているが、具体的な大徳寺大仙院庭園や竜安寺石庭まで聞かれる。作庭に従事した賤民身分の者を山水河原者といい、東山山荘の作庭にあたった善阿弥とともに結構出題される。(ちなみに、世阿弥や善阿弥のように「阿弥号」を持ち、将軍や大名の側近に侍して、芸能に従事した僧形(宗派は時宗)の者を「同朋衆」という。)
竜安寺石庭 置かれている15個の石は、どこから見ても必ず一つが見えないように配置されていると言う話は有名(方丈の間の中心からだけはすべて見えるという説もある)。 ぼくが初めて訪れたのは、もう20年以上前になるが、ちょうど秋のよい季節だった。ぼく以外の参拝者は外国の方一人で、彼は見よう見まねの坐禅を組んでいた。その姿が何となく格好良くて、ぼくも少し離れたところに同じように座った。 すると突然、アヒルの集団が「ガァガァ」と言いながらぞろぞろと入ってきた。アヒルの集団はみんな黄色い帽子をかぶっていた。それは幼稚園か小学校低学年の子どもたちで、先生に引率されていた。 坐禅を組んでいた外国人は、ちょっと顔をしかめた後、無言で立ち去った。 情操教育なのかもしれないが、幼稚園児が竜安寺石庭に感銘を受けるとはばくには思えない。しかるべき発達段階に応じた取組というのはあると思う。(2013年7月記) |
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大徳寺大仙院庭園 初めて訪れたのは、これも20年ほど前になる。 正直言って驚いた。今のようにインターネットが普及していた時代ではなく、ぼくは日本史の図表などでみる写真の知識しか持っていなかったため、竜安寺石庭のようなものをイメージしていた。 見た瞬間、思わず「ちっさ〜!(小さい)」と声が出てしまった。今、授業では「君たちの机4つ分ぐらい。」と言っている。これは言い過ぎだとも思うが、それぐらいの印象であった。 しかし考えてみればそのスペースにこれだけの世界をつくりだしているのだからたいしたものである。 (2013年7月記) |
(3) 水墨画
水墨画は流れものである。「明兆→如拙→周文→雪舟」の順番をしっかり覚える(明るい除雪作業。周りは雪だらけ)。特に作品が絵でも出題されるのは、「如拙=瓢鮎図」と「雪舟=四季山水図」である。雪舟には「天橋立図」もある。また、如拙の『瓢鮎図』が臨済宗のテキストである公案の題材であることも知っておかなければならない。
ここで気をつけなければならないのは、雪舟はもちろん東山文化の人だが、「明兆、如拙、周文は北山文化の人」である。かつてセンター試験でもこの件についての出題ミスがあった。彼らは全員五山の僧である。
(4) 大和絵
大和絵そのものは国風文化の時代に描かれるようになった。代表的作家は巨勢金岡であることを、この機会にもう一度チェック。
この時代は、それぞれ土佐派の祖(土佐光信)と狩野派の祖(狩野正信)が出た。狩野元信の「大仙院花鳥図」は絵で出ることもある。
(5) 工芸
金工=後藤祐乗は一問一答。
(6) 佗茶
侘び茶も流れもの。「村田珠光→武野紹鴎(←正しい字が出ない)→千利休(桃山文化)」(村の田んぼにタケノコ千本)であり、村田と武野の差し替えの正誤問題が頻出する。
(7) 立花も流れもの。池坊専慶→池坊専応→池坊専好である。(慶応大学が好きな人は絶対)
(8) 古今伝授
創始者東常縁=古今伝授(古今和歌集の秘事口伝)は一問一答。東常縁から宗祇へと伝えられる。
これ以降は難問。東常縁→宗祇→三条西実隆→細川幽斎→松永貞徳(当流) ※当流はのち御所に伝えられ御所伝授を形成
↓
→肖柏→林宗二(饅頭屋宗二)(奈良伝授)
(9) 大物、一条兼良について。学者政治家で関白にもなった人物であり、一項目を形成出来るほど出題される。足軽の禁止を訴えた『樵談治要』は、応仁の乱の項で出るだけでなく、9代将軍足利義尚への政治意見書としても出題される。『公事根源』(有職故実)、『花鳥余情』(源氏物語の注釈書)は、書名だけでなく内容もおさえておかなければならない。また、連歌の二条良基と一条兼良を差し替えるという大技もある。
(10) 神道 反本地垂迹説の「唯一神道=吉田兼倶」の一問一答。
(11) 連歌
宗祇(飯尾宗祇)と宗鑑(山崎宗鑑)は、ともに正誤問題の花形。「宗祇=正風連歌⇔宗鑑=俳諧連歌」、「宗祇=新撰菟玖波集⇔宗鑑=犬筑波集⇔二条良基=菟玖波集」の区別を正確に。連歌が史料で出たらまず『水無瀬三吟百韻』(宗祇・宗長・肖柏)である。
(12) 文学
庶民の間で流行した文学が2つ。『御伽草子』はノー・プロブレムであろう(エピソード「庶民の夢ー御伽草子ー」へ)。「室町の流行歌=小歌=閑吟集」は、「平安末期の流行歌=今様=梁塵秘抄」との正誤問題がある。
(13) 儒学の二人は、文化の地方普及の例として出題される。人物と学派名を覚えたら、「南村梅軒=南学派」(⇔桂庵玄樹=薩南学派。『大学章句』も問われる。)である。
(14) 教育
中世の教育は、基本的に「鎌倉時代=北条実時=金沢文庫」⇔「室町時代=上杉憲実=足利学校再興」の2つだけである。足利学校が宣教師に「板東の大学」と呼ばれたことはもちろんだが、その宣教師がザビエルであることも聞かれた(出来なくてもよいが、宣教師で迷ったらザビエルと答える。)。
庶民教育とくれば、まず問われるのは教科書。脊髄反射で『庭訓往来』『貞永式目』と答える。後の時代も同じである。「往来物とは何か?」という設問があれば、「手紙」と答えれば良い。(エピソード「現代版往来物」へ)
(15) 出版 「庶民教育の教科書として『節用集』が用いられた」という正誤問題があったが、もちろん×。『節用集』は林宗二(饅頭屋宗二)による辞書である。
(16) 庶民芸能
町衆が祇園祭を再興したことなどから、「祭礼の際に人々が華やかな格好をして踊る=風流」も問われている。「幸若舞=信長が愛好」はマニアものかな。ほとんどの人は、実は聞いたことがあるのだけれど。
4 仏教の展開 (P.58)
五山派に属さない禅宗寺院を林下という。五山は臨済宗の寺院なので、曹洞宗寺院が属さないのは当たり前。問題は臨済宗寺院の林下である。もう「大徳寺=一休宗純」で決まりでしょう。受験ではほとんど、大徳寺、妙心寺(臨済宗)、永平寺、総持寺(曹洞宗)が出る。
日蓮宗は京都の富裕な商工業者である町衆の間に広がった。日親が『立正治国論』(⇔日蓮は『立正安国論』)を6代将軍足利義教に出して、真っ赤に焼けた鍋を被らされるなどの迫害を受けたことは有名。ややこしいのは、法華一揆と天文法華の乱の違いである。「町衆が日蓮宗で団結している様=法華一揆」⇔「京都の日蓮宗寺院が延暦寺に焼討された=天文法華の乱(1536)」である。
親鸞の死後、鳴かず飛ばずだった浄土真宗(一向宗)は、応仁の乱のころ蓮如が出て大ブレークした。キーワードは「御文と講」だが、「平易な手紙→御文」「組織→講」という言葉を正確におさえる。蓮如が道場とした吉崎の位置も確認しておきたい。
(2013.3.10 番号を整理)
(2013.7.15 慈照寺と枯山水の写真と解説を追記)
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