高校の教科書や参考書の中には、武士が発生した理由を、「10世紀に地方政治が大きく変質していく中で、各地に成長した豪族や有力農民は、勢力を拡大するために武装し、弓矢を持ち、馬に乗って戦う武士となった。」と説明しているものがある。(例;山川出版社『詳説 日本史』1993年検定版)
この説明は非常にわかりやすく、正直言って、ぼくもかつてはそう教えていた。しかし、これは正しいとは言えない、というより誤っていると言わざるを得ない。(旧版のぼくの『ノート』もそうなっていると思う。本当に申し訳ない。)
『武士の起源』の説明については、高校より中学校の教科書の記述の方が進んでいる。例えば
「平安時代の中ごろ、地方では、有力な農民が開墾にはげんで領地を広げ、豪族として勢力を伸ばしました。都では、朝廷の武官が貴族の身辺や屋敷の警護を行い、実力を認められていきました。このような地方の豪族と中央の武官の交流のなかから武士がおこり、武士はやがて、従者を組織して武士団をつくりあげるほどに成長していきました。」(東京書籍『新しい社会 歴史』)
また、「地方に定住し、勢力を伸ばしたいわゆる貴種(皇族や中央貴族の子孫)を中心として、狩りなどを生業にして弓馬に優れていたものが加わった武装集団が武士のおこり」だと説明している中学校の教科書もある。
いずれにしても、これらのほうが、冒頭に示したものよりは正しいと言える。
例えば、平将門の父親(平良将)は、蝦夷の反乱の鎮圧を任務として派遣された鎮守府将軍であり、関東に定住する以前から将門の家は武士だったのである。彼らは元来、地方の豪族でも、開発領主でもない。また、将軍といえば征夷大将軍だが、教科書に記載されている最初の征夷大将軍は坂上田村麻呂であり、渡来系とされる立派な貴族である。
ある予備校の先生が、
『武士とは、朝廷や国衙から職業的な戦士身分と認められた人びと』のことであり、武装しているからといって『武士』ではない。公的に武装を認められて初めて『武士』なのである。これは、拳銃を持っているからといって、ヤクザは警官ではないのと同じだ。
という内容の説明をしていた。思わず「ウマイ」と声が出てしまった。
ここからは、ぼくの『武士の起源』に対する個人的な考えである。(間違っていたら、すみません。)
百人一首の絵札(読み札)を見て欲しい。弓矢を背負った姿で書かれている人が何人もいる。例えば大伴氏(旅人・家持)はそうである。これは、彼らが武官として朝廷に仕えていたことを意味している。つまり彼らは、「貴族であり、武士でもあった」わけだ。(この時点では、『武官』である『武士』の反対言葉は、貴族ではなく『文官』を意味する『文士』といえる。先述の坂上田村麻呂も、貴族であり武士であると言える。)
一方、桓武天皇の時に設けられた健児は、『郡司の子弟で弓馬に巧みな者』から採用された。つまり、あの時代(平安初期)から、地方で武芸に優れた者はいたのである。また、小野篁も若いころ、父親の任地であった東国で、武芸三昧にふけり、嵯峨天皇を嘆かせている。(エピソード「漢詩文の達人は恐い人ばかり」参照)このころ東国には、彼に武芸を教える者がいたということになる。
武官であった中央貴族(彼らの都での官位は、高くない者が多い。)は、地方の治安維持のため派遣され、そのまま定住して(または結果的に定住するようになって)、勢力を伸ばすこととなった。そこに地方で武芸を得意としていた者たちが交わって、武士団(公的に認められた職業的武装集団)が形成されていった。
これがいわゆる武士(武士団)のおこりだと、ぼくは考えている。
2003.6.21
<追記>
現在の高校の教科書では、武士の起源について次のように記している。
1.山川出版社「詳説日本史」(色を変えた部分が大きな変更点)
「9世紀末から10世紀に地方政治が大きく変質していく中で、地方豪族や有力農民は、勢力を拡大するために武装するようになり、各地で紛争が発生した。その鎮圧のため政府から押領使・追捕使に任じられた中・下級貴族のなかには、そのまま在庁官人となって現地に残り、有力な武士となるものがあらわれた。」
2.実教出版「日本史B」(要約)
「地方豪族の中には武装して国司の支配に反抗したり、都に運ばれる調庸物を略奪する者もあらわれた。これに対し政府は武力をもつ貴族を派遣したりした。鎮圧に動員された貴族のなかから、現地の武装集団を従えてそのまま土着し、武士化する者も出現した。→平将門は下総国に本拠を持つ有力な武士(軍事貴族)であった。」
※脚注 「軍事貴族」とは桓武平氏や清和源氏など、平安時代に国家の軍事部門を担当した貴族をいう。
3.桐原書店「新日本史B」の脚注
「かつては開発領主が、その所領を守るために武装し、武士が生まれたとされてきたが、今日では、紛争の解決を請け負った武士が土着して、やがて荒野を開き、武士も開発領主になったと考えられている。」
これならば、上記のぼくの考え方と同じである。
2008.9.14
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