エピソード 『漢詩文の達人は、恐い人ばかりー小野篁ー』

 山川出版社の『詳説日本史』には、この時代の漢詩文の作者として「嵯峨天皇をはじめ、空海・小野篁・都良香・菅原道真らがいる」と書かれている。しかし・・・。こいつら嵯峨天皇を除いたら、人間離れした恐い奴ばかりじゃないか!

 菅原道真は、崇徳上皇と並ぶ日本最大の大怨霊
 空海は、安倍晴明と並ぶ日本最大の超能力者

 都良香と言えばもちろん、彼が通りすがりに吟じた句に、羅城門の鬼が続きを詠んだという人である。
良香らぜうもんを過て一句を吟じて曰く、「気霽風梳新柳髪(気霽(は)れては風新柳の髪を梳(けづ)る)」と。その時鬼神一句をつぎていはく、「氷消波洗旧苔鬚(氷消えては波旧苔の鬚を洗ふ)」と。後、渡辺綱がために腕をきられ、からきめ見たるもこの鬼神にや」(『十訓抄』)
 また、『本朝神仙伝』では、「ある人が良香の句を詠じたところ、朱雀門の鬼が感嘆した」と記されている。彼の漢詩は鬼をも感動させたと言われる所以である。
 (しかしこれでは、都良香より鬼のほうが、漢詩の才能があるということにはならないかい?恐るべし文武両道の達人羅城門の鬼!

 そして!安倍晴明と並ぶ帝都平安京の闇の世界のスーパースター小野篁
朝には朝に務め、夕べには冥府に仕える」つまり、朝(昼間)は朝廷に勤め、夜は冥界で閻魔大王の副官をしていると恐れられていた。

 少年時代は父岑守とともに陸奥へ下っていたため弓馬に励み、学に志して後は、口を開けば美しい詩がほとばしると賞される。文字通り文武両道。身長186p。貴族たちが保身のため言質を取られないように生きる中で、清廉反骨、直情なその姿勢は『野狂』と呼ばれる。
 事実、遣唐副使に任ぜられるも、瀬戸内海航行中に船が破損した大使藤原常嗣からの「大使・副使の船の交換要請」が、勅許されたことに反発。(一番良い船を選んで一の船としておきながら、破損したからと交換するのでは、自分に命を預けてくれている部下はどうなる。納得できない、という内容の抗議が『文徳実録』に残されている。)仮病を使って乗船を拒否するとともに、 西道謡』(現存せず)という詩を発表して政策を痛烈に皮肉り、嵯峨上皇の逆鱗に触れる。
 罪一等減ぜられ死罪を免れるも、隠岐へ配流となった。この時詠んだ歌が、『小倉百人一首』の

 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣舟

である。2年ほどで許され帰京。以後、刑部大輔、陸奥守、東宮学士、蔵人頭、左中弁等を経て、847年参議に昇進したが、852年、50歳で世を去った。

(ちなみに嵯峨天皇と小野篁については、大江匡房の『江談抄』の中に出てくる「子子子子子子子子子子子子」の話が有名。「無善悪」という落書の読みを天皇に命ぜられ、「悪(さが・嵯峨天皇を指す)無くば善(よ)けん」と解読したところ、「お前自身が書いたのだろう。」と疑われた。そこで潔白の証明として、天皇が出した「子子子子子子子子子子子子」の謎掛けを見事読んで、罪とされるのを免れたという話である。もっとも、武芸三昧だった篁が、学問を志すきっかけを与えてくれたのも、嵯峨天皇であったから、二人の関係は決して悪くはなかった。)

 冥界での篁のエピソードはいくつか残されているが、一番有名なのは、『今昔物語集』におさめられた西三条大臣藤原良相(よしみ)の話であろう。

 篁がまだ学生であったときに、罪を犯した。そのとき、藤原良相が篁を弁護した。歳月は流れ、篁は参議となり、良相も大臣になっていた。
 ある時、良相は重病となり、息を引き取った。直ちに閻魔大王の使いの者にからめ捕らえられて、王宮で罪を定められようとした。見ると、閻魔のかたわらに篁がいる。
 篁は閻魔に「この大臣は、正直で良い人だ。篁に免じて許してくれないか。」と言う。閻魔は「それは本来ならば非常に難しいことだ。しかし、篁がそれほどまでに言うのなら許してやろう。」と答えた。気がつくと良相は息を吹き返していた。やがて病は回復し、出仕できるようになった。彼は、このことをずっと不思議に思っていたが、篁に問いただす機会がなかった。
 ある日、良相は偶然、内裏で篁と二人きりになるチャンスを得た。ここぞとばかり良相は篁に、閻魔王庁でのことを尋ねた。
それを聞いた篁は、微笑してこう答えた。
「あれは、以前、私があなたに世話になったお礼をしただけです。ただし、このことは、決して人に話されるな。」
 良相は驚くと同時に脅えて、会う人ごとに
「人には親切にしたほうがよろしいですぞ。」
と諭したという。
 しかし、篁が地獄の冥官であるという話は自然に世間に広まり、皆、篁を恐れたという。

 小野篁の等身大の像が祀られている京都の六道珍皇寺の本堂の裏には、篁が毎晩冥界へ通った際の入り口であったという、井戸が今もある。

(2003.2.23)

追記。「子子子子子子子子子子子子」の読みは、「ねこのこのこねこ ししのこのこじし」(猫の子の子猫 獅子の子の子獅子)です。

 


六道珍皇寺の井戸
(京都市東山区東大路通松原西入ル)


小野篁墓  
 (京都市北区堀川通北大路下ル。なぜか隣に紫式部の墓がある。) 

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