エピソード 『戦艦大和の最期』

 太平洋戦争も終わりに近づいた1945(昭和20)年4月。世界最大の戦艦『大和』は、沖縄に上陸したアメリカ軍撃滅の命令を受けて出撃した。しかし、米軍が制空権を握るなか、これは「水上特攻」と言うべき成算のない自滅行為であり、巨艦に乗り込んだ3009人の男たちは、そのことを十分に認識していた。

 愚かな命令によって、愛するものと永遠に別れなければならない苦悩と憤り。
 「無駄死には嫌だ。自分たちの死に意味が欲しい。」
 自分たちの死の意義をめぐる青年たちの激論は、殴り合いの喧嘩となった。それを収拾したのは、哨戒長の臼淵大尉の言葉だった。 

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。俺達はその先駆けとなるのだ。」(吉田満『戦艦大和の最期』より/原文は片仮名交じり文)

 戦いとも呼べないほどのアメリカ軍の一方的な攻撃。甲板は血の海と化した。傾く船体。船室の片隅では、17歳の少年水兵の目の前で、上官がやおら軍刀を抜き、自らの腹を真一文字にさばき、倒れた。(八杉康夫氏の講演より)

 沈んでいく大和。乗艦がほとんど真横に傾き水平線が垂直に近い壁となって蔽いかぶさってくる中で、彼らは何を思ったのか。

「生き残った同胞が、特に銃後の女性や子供がこれからの困難な時代を戦い抜いて、今度こそは本当の生き方を見出してほしいと、訴えるというよりも祈りたいような、声の限り叫びたいような気持ちだった。(中略)戦争のまっただ中でもがきながら、われわれの死をのりこえて平和の日がやってくることを、願わずにはいられなかったのだ。」(吉田満)

 生き残った乗員は276人だった。

 そして、私たちは、この日本で生きている。

 「大和の最期」を取り上げて、戦前の国家指導者と日本軍の無能、無責任を責めることは、たやすい。

 しかし、私たちは今、臼淵大尉らに「あなた方の死は、決して無駄ではなかった」と言える生き方をしているのだろうか。

 戦争とは、「国益の衝突を解決するための手段」の一つである。あくまで「自国の国益を守るために戦う」のであり、「正義のため」などではない。そして、自らの戦いを、「侵略」戦争と称する軍隊など、世界中どこにもない。

 2003.3.20

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