エピソード 『月下独酌』

  学生時代のある秋の日。アルバイト先の塾へ行く途中、乗車駅の前の店でお団子が売られていた。その時は何とも思わなかった。
 塾の近くの駅で降りてふと見ると、売られている団子は三宝にきれいに盛られていた。それで気付いた。今日は中秋の名月なんだ!

 塾の事務室件講師控室でそのことを話すと、事務員の女性に「今日はいいお天気だから、お月さまがきれいですよ、きっと。」と言われた。これは・・・

飲まねばなるまい!

 誰と飲もう。浮かんだのは一緒に塾の講師をやっていた東洋史専攻のだった。ぼくと並んで自他ともに認める酒好きだった。は、その日講義がなかった。彼の下宿は塾の近くである。ぼくはへ電話をかけた。ところが・・・

おかけになった電話番号は、現在、都合によりご使用できなくなっています・・・

 要するに電話料金を滞納して、止められていたのである。事務員さんの勧めで電報を打つことになった。連絡先等の確認の後、NTTのオペレーターは言った。「電文をどうぞ。」

 そうだ。電文なんだ!生まれて初めての経験だった。何て言おう。「満月ですから飲みませんか」では、あまりに陳腐だ。ちょっと考えた後、ぼくは言った。

「電文は、『ツキトカゲトヲトモニシマセンカ』(月と影とを伴にしませんかでお願いします。」

 オペレーターの明らかに戸惑った様子が伝わってきた。15文字、最低料金の電文だった。そしてぼくは講義に行った。

 9時過ぎに終わって事務室に戻ると、が煙草をふかせながら待っていた。「分かった?」という問いに対し、彼は間髪を入れずに言った。

分からいでか、李白だ!

  そして彼は、買ってきた酒の瓶をドンと、テーブルの上に置いた。(電話は止められても、酒を買う金はあったらしい・・・

 月下独酌  李白   (日本語訳が間違っていたらすみません。)

花間一壷酒  独酌無相親  花の間に酒壷を持ち出し、ひとり手酌で飲んでいる。
挙杯邀明月  対影成三人  
杯を挙げて昇ってくる月を招き、自分の影も加えて三人となった。
月既不解飲  影徒随我身  
月はもともと飲めないし、影もただ私の真似をするだけである。
伴月将影  行楽須及春  
しばらく、この月と影とを伴って、心いくまで春を楽しむことにしよう。
我歌月徘徊  我舞影凌乱  
私が歌えば月はそれに合わせて動き、私が舞えば影もそれに合わせて入り乱れる。
醒時同交歓  酔後各分散  
酒を飲んでいる間は三人で楽しみ合い、酔った後はそれぞれに別れてゆく。
永結無情遊  相期遥雲漢  
永くこのような交遊を続け、次はあのはるかな天の河ででも再会するとしよう。

  ぼくたちは近くの公園へ行って、地面に自分たちの影をうつしながら、踊るように酒を飲んだ。
  その約2カ月後、突然に、「一緒に中国へ行かないか」と誘われることになる。

(2002.11)

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