エピソード 『Linguaphone Kansaiben』

授業を受けたことがある人にとっては、なじみの話である。

五畿大和山背(城)・河内和泉摂津)は全て覚えなければならないが、その中の河内にまつわる話。

 関西に縁のない人が、『関西弁』と聞いてイメージするのが「河内弁」ではないだろうか。『河内のおっさんの歌』という楽しく、人情味を感じる歌もある。ぼくの大学時代、ラジオで「リンガフォン関西弁」というのが流れた。

”This is the Linguaphone for foreigners to study Kansaiben”(これは関西弁を学ぶ外国人のためのリンガフォンです)

”Lesson1, How much? How much?  なんぼのもんやねん 『なんぼのもんやねん』 repeat after me.”

”Lesson2, What is your class? What is your class?  われ、どこの組のもんやねん!?』 

 これは言い過ぎだと思うかもしれないが、実際これに近い。大阪で初めて乗った電車の中で、制服を着た女子高生がニコニコ笑いながら、「せやんけ、われ」と言ってるのを聞いた時は、「あぁ、ぼくはこの街に慣れることは絶対ないだろう。」と思った。が、1カ月で慣れた。若いって素晴らしい!

 同級生になった大阪南部出身の女子学生に、「自分、ヤンキーやなぁ」と言われた九州出身の男子が、「『私はアメリカ人です』?こいつ何を言ってるんだ?」と思ったという話もある。『ヤンキー』をいう言葉は、その後一般的になったが、分からないのは『自分』である。これは二人称代名詞(あなた等)として使われている。

 しかし、同じ関西でも京都は違う。京都出身の女子に「ちょっと、ノート見せて」と頼んだ時、「ええけど、これ、線、引いてはるぇ」(いいけど、これ、線が引いてあるよ)と言われた。軽い尊敬の意味で「・・・・してはる」というのは分かっていたし、ぼくも使うようになっていたが、物に対しても使うとは。丁寧語の一つなのだろうか。

 言葉は文化であり、生き物である。方言を捨てる必要はない。ましてや他国の人に自国語を強制(近代編後期9『太平洋戦争』参照)するなど、人のすることではない。

(2002.12)

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