森繁久弥氏主演の『小説吉田学校』という映画がある。講和論を巡って対立がある中、吉田は「とにかく独立だ」と平和条約締結へと向かう。
そのためアメリカとの交渉に渡米することになったのが、池田勇人(後、首相。サンフランシスコ講和会議全権の一人ともなる)であった。池田は吉田茂に交渉の仕方は全て任せると言われる。
「分かりました。で、誰と会えばいいのでしょうか。」
「分からん。それも任せる。」
池田は秘書官の宮沢喜一(後、首相)とともにアメリカに降り立つ。しかし、出迎えもなく、用意されていたのは窓の外にネオンが輝く、場末の安ホテルであった。
「これが一国の大使に対する扱いか。」
占領下であるということの意味と屈辱を噛みしめる二人。しかし誰と交渉すれば良いのだろう。ベッドに腰掛けて考える。「日本の現状がよく分かっていて、それでいて日本の味方になってくれ、尚且つアメリカ政府に顔がきく人物」
そして二人は同時に一人の人物に思い当たる。
「ドッジだ!」
そう、ドッジ・ラインのドッジであった。
一方、首相の部屋には一人の外務官僚が呼ばれた。平和条約の草案づくりである。
彼は作成した草案を持って吉田のもとへ行く。目を通した首相は、それを机の上に半分投げるようにして置くと、一言、
「駄目だ。」
と言う。
「どこを直せばいいのでしょうか。」
しかし、それには答えず、ただ「これでは駄目だ。」と突き返す。
それから何度、首相のもとへ足を運んだことだろう。その都度、「駄目だ」が繰り返される。
「あなた、お母さまが危篤です。」「すまない。帰れない。よろしく頼む。」
外務省の窓の外の景色が変わる。
「お母さまがなくなりました。」「そうか。苦労をかけるな。」
そして、憔悴しきった彼が吉田茂の前に立った。吉田は黙って草案を読むと、いつものようにそれを机の上に置いた。官僚の顔。一瞬の間。そして
「完璧だ。よくやってくれた。ありがとう。」
官僚の口から嗚咽が漏れた。
場面はサンフランシスコ講和会議へと変わる。
(2002.8)