エピソード 「『みだれ髪』と俵万智」

 「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
       ↓
 「燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの

 これは『みだれ髪』の中でも有名な歌を、俵万智が「チョコレート語訳」と銘打って訳したものである。他にも

あらたまの年の三年(みとせ)をまちわびてただ今宵こそ新枕(にいまくら)すれ」を、
三年を君にささげてまちわびて今夜打たれるはずのピリオド

なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」を、
なんとなく君が待ってる気がしたの花野に出れば月がひらひら

といった具合である。俵万智の『サラダ記念日』がでたのは、僕が大学生の時だった。彼女の登場は「昭和の与謝野晶子」と賞されたりして、一世を風靡した。過大評価だとかバッシングめいたものがある一方で、返歌という形で『男たちのサラダ記念日』という便乗商法の本まででて、それなりに売れたりした。しかし彼女にとって幸いだったのは、この本のレベルの低さが、俵万智の才能をますます印象付ける結果となったことだと思う。

 さて話を与謝野晶子本人に戻したい。ここまで晶子に想いをよせられた与謝野鉄幹だが、晶子が鉄幹に出会った時には、彼には妻(しかも二人目)がいた。(鉄幹とこの妻との間には、しばらくして子どもも生まれた)さらに晶子には山川登美子という恋のライバルまでいた。晶子と登美子は、ともに『明星』の売り出し中のスターであり、当時の道徳観(今でも?)からは、許されない恋であった。
 ただ、登美子は親の決めた相手との結婚が決まっていた。しかし鉄幹は、「駄目だとはっきりしている」登美子に未練がつのったようで、晶子は登美子より圧倒的に有利でありながら、内心は穏やかではなかった。
 やがて鉄幹の離婚が成立し、晶子は妻となった。「不倫・遠距離恋愛・三角関係」を乗り越えてのゴールインである。晶子は鉄幹との間に12人の子どもをもうけることとなる。
 しかし、新たな問題が起こる。君たちにとって、「与謝野鉄幹と与謝野晶子とどっちが有名ですか?」少なくとも10人中9人までは晶子ではないだろうか。鉄幹は、自分に恋い焦がれて、堺の旧家から勘当同然で嫁いできた娘の才能が、自分より遥かに優れていることに、精神的に追い詰められていく。
 鉄幹は晶子から離れるようにパリへ留学することになる。(元々は、文壇的に落ち目になった鉄幹に、新しい道が開けるようにと、晶子が勧めたものではあったが。)しかし、鉄幹を送りだしてはみたものの、恋しさに耐えられず、半年後、晶子自身も、当時7人いた子どもを置いてパリへと向かう。

ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟

 晶子は生涯鉄幹を愛し続けた。俵万智が雑誌に「晶子の生涯を知ると、恋は数じゃないな、とつくづく思う。 もちろん、平和な相思相愛の状態ばかりではなかっただろう。 けんかして鉄幹が家出したことや、浮気を告白されて晶子が傷つくことなども、あったようだ。 そういうことをも含めて、恋愛というものを、晶子は味わいつくしたのだと思う。 その相手は、鉄幹というたった一人の男性で、十分だった。」と書いていたが、『チョコレート革命』の俵万智がこう言うところに、恋愛論の妙がある気がする。

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