2015年度大学入試センター試験『日本史B』問題解説
★日本史B★
昨年度の問題解説で「時に「大学入試センター試験の問題はぼろい(良問ではない)。」と言っている人がいるが、少なくとも日本で行われているマーク試験の中では、もっとも『学習指導要領』に忠実で良心的な問題だとぼくは思っている。」と書いた。基本的にはその考えは変わらないが、今年は毎年、大学入試センターが作成し、公開している『大学入試センター試験問題評価委員会報告書』の「高等学校教科担当教員の意見・評価」の基準でいえば、近年にない悪問とぼくには思えるものもあった。
個人的に今回、「???」となったのは、大問2の設問6(正答を導くことには問題ない)と、大問3の設問5である。
なお、問題はこちら (pdfで開きます。河合塾のホームページに掲載されていたものです)
第1問
問1.Bが正解。落ち着いてグラフを読めばできる。選択肢@とAは、グラフの読み取りのみ。Bは「満州事変から敗戦まで」というのが、1931年から1945年までだと理解できれば、正文と判断できる。Cは、「英米との開戦」が1941年だと分かっていれば、明らかに誤文とわかる。満州事変とアジア・太平洋戦争が始まった年代は、基本中の基本。
問2.Aが正解。これも基本。@の「桂・タフト協定」は、日露戦争中にアメリカとの間で結ばれ、アメリカは日本の朝鮮支配を、日本はアメリカのフィリピン支配を相互に承認しあった。そもそも、アメリカが日本に朝鮮からの撤兵を求めていれば、この後の植民地化が、とんとん拍子に進むことはなかっただろう。そう考えるだけでも誤文だと判断できる。Aはエピソード 『小村寿太郎と桂・ハリマン覚書』を参照してください。Bの「石井・ランシング協定」によって、アメリカは日本の中国における権益を承認したのだから、まったく逆。なお、第一次世界大戦後のワシントン会議で締結された九か国条約で、石井・ランシング協定と二十一箇条要求の一部が廃棄され、中国に関する権益の一部を放棄した。Cは、ワシントン海軍軍縮条約で主力艦保有比率は、米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67となったのは、常識。
問3.Bが正解。Xは誤文。図に「朱印」とあり、これが渡航許可証としての「朱印状」であることはわかる。徳川家康は楕円形の朱印と四角形の朱印の二つを使い分けた。海外貿易を許可する際には後者(四角のもの)を押した朱印状を授けたことから、この朱印状を受けて貿易を行った船を朱印船と呼び、後に「朱印船貿易」と呼ばれるようになった。つまりは幕府が与えたものである。などと詳しく解説しなくても、江戸時代に朝廷が自由に大名や豪商に貿易許可を与えられるはずがないという、猫でもわかる基本問題である。Yは、ルソンが現在のフィリピンであったことが判断できれば正文と判断できる。
問4.@が正解。猫。アの蘭渓道隆と無学祖元は基本。桂庵玄樹は、室町末期の文化の地方普及の例で頻出の人物(薩南学派の祖)。イのパターンは頻出。平安末期に平清盛は宋の商船を畿内に導き入れるために大輪田泊を修築し、音戸の瀬戸を開削したのである。それが分かっていれば、平安中期に堺まで宋の商船が来ていたはずがない。これが分からなかったものは、大輪田泊の意味が分かっていないということである。
問5.@が正解。猫問というよりネズミでも解ける。雪舟は水墨画の大成者。小学校の教科書にも載っている。濃絵のはずないだろう。
問6.Dが正解。Tは、百済滅亡→白村江の戦いの連想で7世紀後半。Uは渤海で奈良時代。Vは五経博士でヤマト政権の時代(細かくは、五経博士の初来日は、加羅4県を百済に割譲した(512年)見返りだったから、翌513年)。ここから、V→T→Uと判断できる。
第2問
問1.Cが正解。猫問。問われているのが縄文時代だということは分かると思う。@は縄文時代は気候が温暖化し、マンモスのような大型獣がいなくなり、鹿などの足の速い中小動物が増えた。そのため弓矢が発明されたのである。そもそも弓矢でマンモスは捕れないだろう。Aの木の実をすりつぶすのは、石皿すり石。細石器の何たるかが分かっていれば間違えないし、そもそも細石器自身が旧石器文化での出題ネタである。Bは縄文土器の話でしょう。青銅器(金属器)自体、縄文時代にはないし。
問2.Cが正解。ネコ。Xは脱穀用の竪杵。Yは稲の穂首刈りに使った石包丁。
問3.Aが正解。bのヤマト政権の直轄地は屯倉。cは、倭の五王の記述は、『宋書倭国伝』(魏志倭人伝は卑弥呼の話)であり、さらに朝貢先は北朝ではなく南朝である。これは『大学入試センター試験問題評価委員会報告書』の「高等学校教科担当教員の意見・評価」で、「誤文中に複数の誤りを盛り込むことにより、受験者の判断を容易にさせている」とプラス評価される親切な問題であった。
問4.@が正解。Xが正文であることで迷った受験生は少なかったと思う。問題はY。「行基=社会事業=民衆への布教」は、基本事項。ただ、その社会事業に灌漑施設が含まれていたかで迷った人がいたのではないか。ここは、センター試験の特徴を考えるとよい。センター試験の正誤問題においては、異様に細かいことの正誤の判断はないと思ってよい。この場合は、「行基は、橋を架けたりはしたけど、用水路をつくってはいないから×」というような設問はつくられない。つまり、「行基は社会事業をしながら布教した」が正文だと判断できれば〇と考えてよい。
問5.Bが正解。Tは「健児」から平安初期。Uは「大宝令の施行」で、奈良時代(厳密には702年以降の8世紀初期)。Vは、「尾張国郡司百姓等解文」だから平安中期である。ここからU→T→Vと判断できる。
問6.この設問は、試験終了と同時に、少なくともぼくと親交のある全国の同業者の間で話題となった。
使われたのは、教科書に記載されている「鹿子木荘」の史料である。ぼくが受験生であったときから、寄進地系荘園の成り立ちを説明するために利用されてきた。しかし、山川の新課程の教科書には「この文書を伝えた東寺は、第一条に記されているように開発領主の権利を継承していると主張している。そのためこの文書では、開発領主→荘官側の権利を実態より大きく記している可能性が大きい。」と書かれているように、粉飾があるという考えられるようになった。さらに、開発領主とされる沙弥寿妙は、実は受領の中原氏だったことも判明した。つまりは、粉飾とねつ造があることになる。このような史実とは異なる史料を用いて、寄進地系荘園を説明することは、当然ながらふさわしくない。それをセンター試験に出題した意図は何なのかで、盛り上がった(実はぼくは、自分の生徒たちには、「そういう理由で、この史料そのものは、そういうことを考慮しないような私立大学なら出題されるかもしれないが、ことセンター試験においては絶対出ない。」と断言していました。)。
ただ、正解は史料を素直に読めば、「藤原実政に寄進したのは、寿妙の末流高方であり、寿妙ではない」ことは容易に判断でき、正解は@となる。
第3問
問1.Cが正解。史料の空欄補充だが、すべての教科書にある基本問題。「道理」のおすところ、「武家」の人への計らいのためばかり、京都の御沙汰、「律令」のおきて、聊かもあらたまるべきにあらずという、猫であった。
問2.Aが正解。猫。bの六波羅探題設置は承久の変を機に。cの三浦氏は、宝治合戦で台頭どころか滅亡。さらに、六波羅探題は北条氏一門であり、これも「誤文中に複数の誤りを盛り込むことにより、受験者の判断を容易にさせている」。
問3.Aが正解。Xの正誤は迷った人がいたか。受験日本史では、同業者の団体である座が、もっともクローズアップされるのは、「石清水八幡宮を本所とする大山崎の油座」を丸暗記する室町時代である。その座が鎌倉時代からすでにあったのか。ぼくは、授業で強調しているのだが、座そのものは平安末期からある(通史編「室町時代編5 産業・経済の発達」参照)。従って正文である。Yは基本。天文法華の乱で攻撃されたのは一向一揆ではなく、「法華」すなわち日蓮宗であり、誤文となる。
問4.Bが正解。ネコどころかこれもネズミ問。信長を明智光秀が殺したのは「本能寺の変」(これ、違った人いるのかな?)。秀吉に攻められた関東の戦国大名は伊達氏ではなく、北条氏。この小田原平定の際に伊達政宗が秀吉の陣に加わり、全国統一が達成された。
問5.@が正解。しかしこれは、近年のセンター試験の問題には珍しい悪問だとぼくは思う。正答は@だが、これは「秀吉の朝鮮侵略を、朝鮮では壬申・丁酉の倭乱とよんでいる」ことの正誤(正文)を判断させるものである。さらにAも「漢城を占領したのが慶長の役ではなく、文禄の役であった」ことを判断させている。
Bの「当時の中国王朝は清ではなく明である」こと。そして、Cの「朝鮮水軍を率いたのは李成桂(朝鮮の建国者)ではなく李舜臣」であることの判断はできなければならないとしても、@、Aは『大学入試センター試験問題評価委員会報告書』の「高等学校教科担当教員による意見・評価」で、批判される「教科書によって取り扱いに差のある内容や、消去法で正答を導き出すことになる設問」、「細かな事象や高度な事項・事柄に関する理解を必要とする設問」の最たるものだと考える。
問6.Cが正解。秀吉は、京枡の使用を禁止したのではなく、その逆で京枡に統一した。
第4問
問1.Bが正解。猫。@は、田畑永代売買禁令が解かれたのは、明治になってから。ぼくとしては、この選択肢@は面白いなと思った。実は、寛永の飢饉は1640〜42年。そして田畑永代売買禁令が出されたのは、その翌年の1643年である。これには相関関係があり、寛永の大飢饉を契機に幕府は本格的な農政へ乗り出し、百姓の没落を防ぐ目的で、田畑永代売買禁令を発布したのである。Aの上米は、農村からではなく大名に米1万石に付き100石の割合で、買い上げではなく上納させたものである。Cは、なぜ大塩平八郎が大坂の富裕な商人を襲撃したかを考えたらまったく逆だと分かる。
問2.Aが正解。猫問。西廻り航路(海運)・東廻り航路が河村瑞賢なのは猫問中の子猫。高瀬川の開削が角倉了以なのも分かって欲しいが、迷っても田中勝介(徳川家康のよってノビスパン(メキシコ)に派遣された)と間違うことはない。
問3.@が正解。Xは問題なく正文と判断できる。迷ったのはYであろう。佐竹義和は、上杉治憲の蔭に隠れて受験日本史ではマイナーである。多分、上杉治憲と同じようなことをしただろうから、倹約はしただろうと推測できる。問題は特産物の生産を奨励したか?。正文だと判断した受験者は「幕末の薩摩や長州・佐賀も特産品の専売とかやってるから、その先駆的なことをしたのではないか。」と考えたのではないか。そのような判断でOKである。
問4.@が正解。アは11代徳川家斉の次の将軍(12代)を選ぶものだが、仮に徳川家慶が分かっていなくても、ダミーが4代家綱なので迷うことはない。イは、徳川家斉による大御所時代の次だから天保の改革を実施した老中は誰かという問題であり、水野忠邦となる。天保の改革=水野忠邦は、中学校の教科書にも載っている。また、ダミーとなっている田沼意次が10代家治の信任を得て老中となり、家治の死後失脚した。11代将軍となった家斉の初政が松平定信の寛政の改革である。
問5.Aが正解。Uのアヘン戦争→(天保の)薪水給与令が一番最後なのは容易に判断できる。迷うのは、TとVの順序ではなかったか。イメージは「ラクスマン来航」→「近藤重蔵らの択捉島探査」→「東蝦夷地直轄」→「レザノフ来航→幕府が冷遇」→「憤慨したロシアが蝦夷地を攻撃」→「全蝦夷地を直轄」→「ゴローゥニン事件→解決」→「ロシアとの緊張改善」→「松前藩復活」である。そうすると、T→V→Uとなる。
問6.Bが正解。a、bについては史料に書いてある通り。cは、この史料の結果、人返しの法が出されたという内容であり正文。dの宗門改は島原の乱後、キリスト教徒(及び日蓮宗不受不施派)を弾圧するために設けられた。
第5問
問1.Cが正解。落ち着いてリード文を読めば判断できる。アは、1875年より前に、太政官制のもとで設けられた立法機関だから、三院制の中の左院である。ダミーの枢密院は、「蜂蜂蜂(888)、蜂(8)が三つ(蜜)で吸う蜜イン→1888年枢密院」であり、1875年より後。何より枢密院は、明治憲法草案の審議にあたるために設けられ、天皇の最高諮問機関となった。イの「漸次立憲政体樹立の詔→元老院・大審院・地方官会議」は基本でしょう。
問2.Bが正解。Xの地方制度=モッセは過去にも出た。シュタインは、伊藤博文がウィーンで憲法理論を学んだ人物。シュタインの自宅で2ヶ月に及んで学んだらしい。Yのフランス印象派の画法は黒田清輝に決まっているでしょう。荻原守衛は彫刻(「女」)だし。
問3.Cが正解。猫。@の八幡製鉄所は官営です。Aは松方デフレによって、中小自作農が没落して小作農に転落した→小作地率は増加した。B「地主は小作料収入をもとに企業をおこしたり、公債や株式に投資したりして、しだいに資本主義との結びつきを深めた」(山川『詳説日本史』)に書いてある通り。
問4.Bが正解。史料をしっかり読め!猫でもできる。
第6問
問1.Cが正解。特別高等警察(特高)が全国に配置されたのは、治安維持法が田中義一内閣によって改正された1928年のことである。なお、警視庁内に特高がおかれたのは大逆事件の年である。@は、第1回メーデーで群集が集まっている写真、見たことあるでしょう。Aの戒厳令とは、極端な治安悪化や暴動を中止させるために、行政権・司法権の一部(場合によっては全部)を軍隊の権力下におくことをいう。日本で戒厳令(緊急勅令による東京周辺の行政戒厳)が出されたのは、日比谷焼き打ち事件、関東大震災、二・二六事件の時の3回のみである。小作争議のために東京を軍政下に置くほど、日本はひどい国ではなかった!Bの北一輝は大杉栄の誤り。北一輝は、『日本改造法案大綱』が、皇道派のバイブルのようになり、その思想の影響を受けた青年将校によって二・二六事件が起こされた。そのため、事件には全く関与していなかった北一輝は非公開・弁護人なし・一審制の上告不可のもと死刑となった(エピソード「テロの時代」参照)。
問2.Bが正解。『太陽』は、高山樗牛が日本主義をとなえて日本の大陸侵略を肯定した雑誌だと分かれば、明治時代に創刊されていることが判断できる。実際には1895年、日清戦争の勝利決定的な状況で創刊された。でもなぁ。大正デモクラシーの潮流に乗り遅れて廃刊したとはいえ、昭和の初期まで存続したのだから、これをセンター試験で判断させるのもいかがかとぼくは思う。やや難問であった。これも受験生は消去法で判断したのではないか。
問3.3が正解。Xの「悲母観音」は狩野芳崖。Yは二科会と言えば安井曾太郎と梅原龍三郎でしょう。猫。
問4.@が正解。アの1942年の首相は、アジア・太平洋戦争を始めた東条英機。ダミーはポツダム宣言を受諾した時の鈴木貫太郎だから、迷うことはない。イはいうまでもなく疎開でしょう。
問5.Cが正解。aは、まず日中戦争は実質的には全面戦争であったが、宣戦布告なき戦争であり、「支那事変」などと呼ばれた。また、第一次近衛内閣は、近衛声明として「国民政府を対手とせず」と表明し、和平の道を閉ざしたのであって、全面戦争への決意を示したわけではない。cは、リード文中に「代表作である『放浪記』なども発禁となり」と書いてある。近年のセンター試験『日本史B』は、このようにきちんとリード文を読めば、正答が導けるようになっているものが毎年出されている。
問6.@が正解。猫。Xは、盧溝橋事件の後、政府の不拡大方針に逆らって、陸軍は首都南京の占領に走った。そして南京を占領したが、国民政府は、首都を武漢、ついで重慶(地図中b)へと移して、抗戦を続けた。Yのシンガポールは過去問でも出ている。
問7.@が正解。最初の総選挙の前に、GHQからの五大改革指令の中の「婦人の解放」をうけて、20歳以上の男女に普通選挙権を与えた新選挙法が成立した。戦後初の総選挙は、この新選挙法に基づいて行われ、39名の女性代議士が生まれた。これは日本国憲法成立より前の話である。つまり、39名の女性代議士が参加した最初の議会は、最後の帝国議会である。この最後の帝国議会で、日本国憲法案は審議されたのである。このことを念頭において考える。bの石橋湛山は吉田茂の誤り。日本自由党は鳩山一郎の党であったが、鳩山が公職追放となったため、代わりに吉田が首相となった。石橋湛山内閣は、岸信介内閣の前である。cは「?」だった受験生が多いのではないか。GHQは、1946年1月の公職追放令によって、戦時中の翼賛選挙の推薦議員をすべて失格としたため、大混乱となった。従って正文である。
dが誤文であることは、落ち着いて考えればわかる。日本国憲法案を審議は、最後の帝国議会でなされたのだから、議会はまだ衆議院と貴族院である。
問8.Aが正解。猫問。@について。戦後のソ連との国交回復は日ソ共同宣言である。それが分からなくても、日ソ中立条約は戦前のものであり、明らかに誤文。Bは論外。Cは、朝鮮戦争によって日本はアメリカ軍からの特需によって潤った(朝鮮特需)。
2015.1.18
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