『近代編後期7 第二次世界大戦』

【6】 第二次世界大戦  (P.131〜132)

 この項目も内閣ごとにまとめてあります。受験生にとって一番紛らわしいのは、近衛内閣1次、2次、3次それぞれの内容でしょう。まずはこの部分のキーワードの整理から。
@第次近衛内閣=「盧溝橋事件日中戦争近衛声明」「国民精神総動員運動(法ではない!)」「国家総動員法
 平沼→阿部→米内内閣
A第次近衛内閣=「新体制運動」「日独伊三国同盟⇔(日独伊三国防共協定は第次)」「日ソ中立条約
B第次近衛内閣=「南部仏印進駐⇔(北部は第次。正誤問題に注意!)」

1 第1次近衛文麿内閣
 第1次近衛文麿内閣の補足。盧溝橋事件1937年7月7日まで出たことがある(一桁(?)が7・7・7のフィーバーである)北京の郊外。近衛内閣ははじめ不拡大方針であったが、軍部は戦局を拡大。政府も追認を余儀なくされる。
 日中戦争が起こると、資金と貿易の面での直接統制が始まる(臨時資金統制法・輸出入品等臨時措置法)。戦争遂行のために国民精神総動員運動が展開されるとともに、具体的な物資動員計画立案のため企画院が設置され(1937年設置、翌1938年より立案開始)、1938年の国家総動員法で、議会の承認を経ずに(正誤問題注意!)人的・物的資源を統制できるようになった。
 軍部は首都南京を占領したが、中国の国民政府は首都を武漢(漢口)、次いで重慶地図でチェック!)へ移して対抗。戦争は泥沼化した。この様相に近衛政府は、「国民政府を対手とせず」(史料でもこのセリフがキーワード。国民政府の代表は蒋介石)とし、戦争遂行目的は「東亜新秩序」の建設(太平洋戦争は「大東亜共栄圏」正誤問題注意)であるとするいわゆる近衛声明を発した。

2 平沼騏一郎内閣
 平沼騏一郎内閣の時、「国家総動員法に基づいて国民徴用令(1939)」が出され、一般国民が軍需工場に動員されるようになった。同じ年、関東軍は満蒙国境でソ連との間にノモンハン事件を起こし大敗した。(張鼓峰事件は第1次近衛内閣時)ところがそんな折り、日独伊三国防共協定を結んでいたドイツが突如、独ソ不可侵条約を結んだため状況に対応できず、「欧州情勢は複雑怪奇」の名(迷?)言を声明して退陣した。

3 阿部信行内閣
 ついだ阿部信行内閣(陸軍)の時、ドイツのポーランド侵攻を機に第二次世界大戦が始まる。価格等統制令が出されたが、「ぜいたくは敵だ」というスローガンは、この時代を表す言葉として知っておきたい。

4 米内光政内閣
 阿部内閣も次の米内光政内閣(海軍)も、第二次世界大戦には不介入の方針であった。それは、海軍力の乏しいドイツと組んで、巨大な海軍国家である米英と戦うことは得策ではないという、至極当然の判断があったためである。しかし、ドイツとの同盟を望む陸軍は、近衛文麿が新体制運動を提唱し、枢密院議長の職を辞してその先頭に立つことを表明すると、近衛の首相就任を期待して米内内閣を倒した。どうやって倒したの?「広田弘毅内閣の時復活した軍部大臣現役武官制を利用して陸軍大臣を下ろしたのです」
 なお、この米内内閣の時、重慶を脱出した国民政府のナンバー2であった汪兆銘が、南京に新国民政府を樹立。政府はこの汪兆銘政府との間で、日中戦争を終わらせようとしたが、政権が弱体であり失敗した。

5 第2次近衛文麿内閣
 第2次近衛文麿内閣の補足。北部仏印(フランス領インドシナ)進駐の目的は、「援蒋ルート(米英が蒋介石を援助するためのルート)遮断(+資源獲得の面あった)のため。(⇔第3次の時の南部仏印進駐は、天然資源の確保のため)
 新体制運動は大政翼賛会として結実した。(「政党解散→大政翼賛会」「労働組合解散→大日本産業報国会」)なお大政翼賛会は、「当初目指した政治組織ではなく、首相を総裁とする上意下達機関となり、戦争遂行のために国民を動員するのに大きな役割を果たした」ことが、正誤問題で問われている。
 日ソ中立条約(1941)を結んだ外相は松岡洋右。あの国際連盟脱退の時の全権である。松岡外相は、1940年9月に英米に対抗するために日独伊三国同盟を締結し、さらに翌年の4月、三国同盟の提携強化のためにドイツ・イタリアを訪問した帰途、モスクワに寄って日ソ中立条約を締結した。
 一方、同じころ、政府は野村吉三郎と米国務長官ハルとの間で正式な日米交渉を開始した。
 第2次近衛内閣は、日米交渉に反対する松岡外相を除くため、いったん総辞職し、第3次近衛内閣へ組みかえた。

6 第3次近衛文麿内閣
 しかし、アメリカは日本の南部仏印進駐に対して、対日石油輸出禁止措置をとった。南部仏印進駐の背景には、日本の中国政策に対してアメリカが日米通商航海条約を廃棄(ノートは平沼騏一郎の項を参照。1940年、条約は失効した)し、資源を日本に輸出をせず、対日資本を凍結したことがあった。このいわゆる「ABCD包囲陣」(アメリカ・ブリテン・チャイナ・ダッチ=米英中蘭。正誤問題注意!)をはね返すには、戦争しかないという主張が、陸軍を中心に高まった。日米交渉を続けたい近衛内閣は、開戦を主張する東条英機陸相と衝突し、総辞職した。(エピソード「われ太平洋の橋たらんー新渡戸稲造と『武士道』ー」へ

 最後に超重要受験の似た者3択を一つ
張作霖爆殺事件1928奉天郊外→満州某重大事件(田中義一内閣)
柳条湖事件1931奉天郊外→満州事変(第2次若槻礼次郎内閣)
盧溝橋事件1937北京郊外→日中戦争(第1次近衛文麿内閣)

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