(P.127〜128)
「大正文化は大衆文化」とゴロで覚えたい。大衆文化とは、一握りの上層階級でなく、労働者やサラリーマンなど一般people(大衆)をにない手とする文化である。
これを現出させたのは、明治初期からがんばってきた義務教育の普及(日露戦争ごろ就学率97%)によってほとんどの国民が文字を読めるようになったこと。高学歴者の増加と職業婦人と呼ばれた女性の社会進出。そして彼らを主な受け取り手としてマス=メディアが発達したことである。
1 出版
基本は雑誌と円本である。
(1) 雑誌
大衆雑誌=「キング」+100万部。総合雑誌=「中央公論」「改造」。児童文学雑誌=「赤い鳥」(鈴木三重吉)。また菊池寛が私財を投じて「文藝春秋」を刊行している。
<発展的な内容:総合雑誌が大正デモクラシーに与えた意味> 総合雑誌とは、政治・経済・社会・文化全般についての評論などを掲載する雑誌である。言うなれば「ジャンル何でもあり」の雑誌といえる。 「中央公論」自体は明治時代に刊行されているが、総合雑誌が大きな意味を持ったのが大正デモクラシーの時代であった。「中央公論」とそれに対抗する形で創刊された「改造」は、論壇のみならず文壇の形成にも大きく寄与し、日本のオピニオンリーダーの発信舞台となった。 具体的に言うと、1916年(大正5年)に「中央公論」に掲載された有名な論文が吉野作造の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」であり、いわゆる「民本主義」の提唱であった。 ここからも、「国民の教育水準の上昇→一般大衆が雑誌などメディアの受取手に成長→発展的な思想の享受→大正デモクラシーの発展」という図式がわかる。 |
(2) 円本
「1冊1円」=円本で一問一答。1冊1円で文学全集などを売った。
このほか「岩波文庫」が創刊され、低価格・大量出版の先駆けとなった。今でも岩波文庫は少し安い。
2 生活
ラジオ放送は正誤問題もくる。1925年開始(普選・治安維持法と同級生)だから、「関東大震災(1923)の時の情報源となった」は誤り。
映画は大人気であったが、1931年(昭和6)に日本で最初のトーキー(有声映画)が封切られる。ここから弁士がつく無声映画から今のスタイル(有声映画)へと変わっていく。かつてトーキーが登場したのは、明治・大正時代だったか、昭和に入ってからかということを判断させる問題があったなあ。なお映画(活動写真)そのものは明治時代から楽しまれてる。
衣食住の洋風化もしっかりとおさえる。銀座を闊歩するモガの写真は、見た瞬間に「大正時代のモガ」とわかって欲しい。「今日は帝劇、明日は三越」のコピーをヒットさせた三越百貨店をはじめ、高島屋、白木屋、松坂屋などが、今でいうデパートの形態となったのも1900年代であった。浦上商店(現在ハウス食品)などがカレールーの販売を始めるなど、洋食を家庭でつくるようになった。
そして、文化住宅。郊外に建てられたプチリッチな人たちの和洋折衷の家である。イメージが湧きにくければ、「となりのトトロ」の「サツキとメイの家」だと思えばよい。決して貧しい人たちの家ではないことがわかる。農村部も含めて一般家庭に電灯が普及し、都市部では水道やガスの供給が本格化した。
なお、大正時代には、「便利、新しい」という意味で「文化」という言葉を使うのがすごく流行った。「文化包丁」の他、洋服を着た人形が「文化人形」と呼ばれてヒットした。
3 学問
哲学=西田幾多郎=「善の研究」。歴史学=津田左右吉は、古代史(記紀)の研究+ファシズムによる学問の弾圧で頻出。経済学はマルクス経済学=河上肇の『貧乏物語』はたまに史料でもでるが、史料中に「・・・貧乏である・・・」という部分が必ず出るので分かる。
自然科学=本多光太郎(KS磁石綱)と野口英世(黄熱病・梅毒スピロヘータ)は絶対。八木秀次のいわゆる「八木アンテナ」はよくレーダーと結びつけられるけど、本当は皆、恩恵を被っている。テレビアンテナだから。
後の人物は、柳田国男(『遠野物語』)、和辻哲郎(倫理学、『風土』)と、時間に余裕があれば1つ1つ覚えてください。
4 演劇
芸能は、中途半端に詳しい人に紛らわしい。小山内薫の築地小劇場が一番メジャーで基本。紛らわしいのは「人物=明治→大正」の順に、「小山内薫=自由劇場→築地小劇場」、「島村抱月=文芸協会(坪内逍遥)→芸術座」である。
5 音楽
明治期の人物と区別。滝廉太郎(明治期)がダミー。山田耕筰「からたちの花」「この道」、中山晋平の順か。宮城道雄の箏曲「春の海」は毎年正月に聞いている。
6 絵画
大物はである。「所属→作者=作品=写真」の4点セットが必須なのは4人。
「二科会→安井曽太郎『金蓉』、梅原龍三郎『紫禁城』」
「春陽会→岸田劉生『麗子像』」
「日本美術院再興→横山大観『生々流転』」
その他の作品の出題頻度は難しいなあ。下村観山(『大原御幸』)は、明治文化の項で取り上げたので除くとして、大正時代のものとして出題しやすいのは、竹久夢二(『黒船屋』)かな。夢二は、その「大正ロマン」を現出したような絵が、現在でいうところのブロマイドになって爆発的に売れるほどの人気だったが、女性癖が極めて悪く、地元では良く思われていないと、バスガイドさんから聞いたことがある。まあ、ワーグナーといい、立派な作品を残した芸術家が、人間性まで立派だったとは限らないという見本やね。
後は安田靫彦(『黄瀬川の陣』)、竹内栖鳳(『アレ夕立に』)。鏑木(かぶらぎ)清方は、携帯電話の「読めねーよ」のCMを思い出させるし、個人的には好きな画家だが余り出ないね。
7 彫刻・工芸
高村光太郎(『手』)は高村光雲(『老猿』)の子。詩集『智恵子抄』の方が有名か。ちなみにこの智恵子さんは、『青鞜』創刊号の表紙を書いた長沼智恵子です。
そして...柳宗悦は、立命館大学などで石橋湛山(戦後、総理大臣。キ−ワードは『東洋経済新報』)と並べられてよく出る。ともに、戦前朝鮮の植民地支配に反対した知識人。ロマン=ロランが「ヨーロッパの良心」と呼ばれるのなら、柳は「日本の良心」と言える。民芸運動がキーワード。朝鮮の芸術を評価した。(エピソード「柳宗悦と朝鮮・アイヌ・沖縄文化」へ)受験云々は別にしても、もっと日本人に知って欲しい日本人である。
2014.1.4 発展的な内容などを追記