『近代編前期10 明治文化1』

【10】 明治文化  (P.117〜120)

1 思想
 
(1)啓蒙思想
 明治初期。イギリス功利主義とフランス自由主義の代表者と著書をおさえる。「イギリス福沢諭吉中村正直」。福沢の『学問ノスゝメ』や『文明論之概略』は一問一答だが、『西洋事情』は新井白石の『西洋紀聞』とのひっかけがある。フランス式は中江兆民中心。彼が『民約論』を『民約訳解』と翻訳し、「東洋のルソー」と呼ばれたことを考えれば、フランス式だとわかる。
 大物明六社。明治6年に結成されたから明六社ということは、周知の通りだが、『明六雑誌』は翌年の刊行。これがかつてセンターテストの正誤問題ででた。何か意味があるのか!悪問と言ってよい!中心人物はのちに初代文部大臣となる森有礼。福沢たちが参加しているが、明六社は自由民権運動には一線を画していたことは知っておきたい。つまり、「明六社は近代思想の普及につとめ、自由民権運動を積極的に支援した」という正誤問題の答えは×
(2)明治中期のナショナリズム
 これは頻出する。まさに目玉

徳富蘇峰友社+『国之友』→平(的欧化)主義」
三宅雪嶺=政教社+『日本人』→国粋(保存)主義」
「陸羯南=『日本』→国民主義」
「高山樗牛=『太陽』→日本主義」

 これらは、毎年どこかの入試問題で出ている。また徳富蘇峰は三国干渉にショックを受けて、国家主義に変わった人物としても出題される。
 なお徳富蘇峰の平民的欧化主義とは、鹿鳴館に代表される政府の欧化主義を表面的な模倣と批判して、国民大衆の立場からの西欧文化の受容と日本の近代化の推進を主張するものであって、欧化・近代化そのものに反対したのではない。
 また三宅雪嶺の国粋保存主義も、西欧文化の一面的模倣に走る欧化主義(鹿鳴館)の風潮を戒め、日本人としての自信を呼び覚まし、日本独自の近代化のあり方を求めたのであって、西洋思想や近代化そのものを排斥しようとしたのではない。

 日露戦争に勝利(?)すると、明治当初からの「一等国になりたい」という国民全体の目標が、とりあえず達成されたといった雰囲気が、国民の間を漂うようになった。分かりやすいのが、夏目漱石の『三四郎』の主人公である。彼が東京に出る目的は、「作家として成功して有名になりたい」であって、「御国のために役立ちたい」では全くない。こうした風潮の引き締めのために「戊申詔書」が出された。キーワードは「日露戦争後の国民道徳の強化」である。
(3)キリスト教関係
 倫理の問題ではないので、人物のつながりでO.K.
@クラーク(札幌農学校)→内村鑑三、新渡戸稲造
Aジェーンズ(熊本バンド)→海老名弾正

2 教育
 スーパー大物。教育史は古代の「大学・国学・大学別曹・綜芸種智院〜」などからテーマ史でも出るが、近代編はその核となる。とにかく語呂合わせとともに、三本柱をしっかりおさえる。
(1)教育の普及
⑴「ナニ学生フラフラしてる」→『(18)72年=学制フランス式』 →国民皆学を目指すも、地方の実情を無視した画一的な強制に反発。授業料・費用は保護者負担。
⑵「メリーさん、胸囲なくってねえ」→『アメリカ式=教育令=(18)79年』 →自由主義へ→放任への転換で混乱→翌年には改正→政府の監督責任強調。
⑶「どいつ学校やろーか」→『ドイツ式=学校令=(18)86年』→制度として整う。

 これにおまけが加わる。「学制は学区制(がくせいはがっくせい)」で史料は「邑ニ不学ノ戸ナク、家ニ不学ノ人ナカラシメン...」がキーワード。この前年(1871)に文部省設置。学校令は「小学校令、帝国大学令」などの総称。「教育勅語(1890)」は井上毅、元田永孚や「忠君愛国」との一問一答。年代では「教科書国定制度」の1903年がなぜかよく出る。なお、義務教育は「年(1886年・小学校令)→年(1907年)→年(1947年・戦後の教育基本法)」なお、1907年には就学率が97%を越えた。と言うことは、日露戦争が終わるころには、女子もほとんど学校に通っていたんですよ。(エピソード「家庭教育が育んだ日本人の微笑ー明治日本と小泉八雲ー」へ)
(2)大学
 ほとんど一問一答形式。「大学令(115頁、原敬内閣参照)で私立大学が認可されるまでは、慶応義塾福沢諭吉)などは○○扱いであった。」という問題の 「○○」は何?答え、「専門学校」。難しくはないよ。早稲田大学だって、大隈重信がつくったのは東京専門学校であったことを考えればわかる。同志社英学校新島襄の字に注意。女子英学塾の津田梅子は、岩倉使節団とともに、8才でアメリカに留学したことの方が有名だよね。
(3)お雇外国人
 モースは別格として、出題頻度で分けにくい。クラークは教育でも出る。ビゴーは「トバエ」という風刺画で、日清戦争を描いた「漁夫の利」などはみんな見ている。一度センターテストに出て、しかも出題ミスだったという。「お雇い外国人ではない人を選べ」という問題で、正解をビゴーにしていた。しかし、ビゴーも元は、建築の設計師として招かれたお雇外国人だった。

3 学問・科学の発達 
 出題頻度順に。
 まず1軍「北里柴三郎(ペスト、破傷風)・志賀潔(赤痢)・高峰譲吉(アドレナリン、タカジアスターゼ)・鈴木梅太郎(オリザニン)・大森房吉(地震計)・木村栄(z項)・島地黙雷(廃仏毀釈後の仏教界再建/浄土真宗)」
 2軍「田口卯吉(『日本開化小史』)・久米邦武(『神道は祭天の古俗』『米欧回覧実記(岩倉使節団に同行)』)・秦佐八郎(サルバルサン)・牧野富太郎(植物学)」3軍「西周(哲学)・田中館愛橘(地磁気)・長岡半太郎(原子構造)」あとは難問。

 新聞・雑誌は、本木昌造が鉛製活字による活字印刷技術を発明して、広まった。最初の日刊邦字新聞が「横浜毎日新聞」であることは絶対。福沢諭吉の「時事新報」以外は、全て他の場所でもあげられている。(例えば、「郵便報知新聞」は立憲改進党の、「東京日日新聞」は立憲帝政党の機関紙など。でも実は「東京日日」はもともと福地源一郎の新聞だった。)

2010.8.16加筆

通史目次へ戻る
トップページへ戻る
近代編前期9『近代産業の発展と社会運動の発生』へ
近代編前期11『明治文化2』へ