『近世編10 江戸中・後期の文化』

【5】江戸中・後期の文化 (P.91〜94)

 
新課程となって、最も変わった部分の一つが、この江戸時代中・後期の文化であろう。これまで江戸時代の文化は、大まかに言って、前期=寛永期の文化(3代家光)、中期(安定期)=元禄文化(5代綱吉)、後期=化政文化(11代家斉)とおさえてきた。
 しかし、綱吉の時代は、260年の幕府の歴史の上では、開幕から80年〜100年であり、中期とは言い難い。

 何より、経済が活気づいている時期に文化の華が開くという図式から考えても、
元禄時代は好景気で文化の華が開く正徳の政治・享保の改革で緊縮田沼時代の好景気で文化発展寛政の改革で緊縮財政・文化弾圧大御所時代で好景気で文化発展天保の改革で緊縮財政・文化弾圧となる。
 
 そのため、新課程の教科書では、山川がはっきりと「宝暦・天明期の文化」と「化政文化」を分けているほか、実教でも「江戸中期・後期の文化」として、「寛政の改革をはさんで、田沼時代の文化と文化・文政時代の文化にわけられるが、後者をとくに
化政文化という」と記している。
 山川の教科書に従うと、文学は宝暦・天明期と化政期を別々にまとめなくてはならなくなる。ぼくのノートは流れ重視なので、実教の教科書のように「江戸中・後期の文化」とまとめて、テーマごとに確認していく。

 文学
(1)小説は、系図化しておさえる。目玉は、寛政の改革と天保の改革で、それぞれ弾圧されたジャンルと作者と作品のセット。
寛政の改革→洒落本=山東京伝『仕懸文庫』 ・ 黄表紙=恋川春町『金々先生栄華夢』
天保の改革→人情本=為永春水『春色梅児誉美(暦)』 ・ 合巻=柳亭種彦『偐紫田舎源氏』
 弾圧されたものは、その内容も知っておきたい。洒落本は遊里(遊廓)が舞台。寛政の改革で倹約を奨励している時に、「遊廓遊びは楽しいぜ」は禁止。黄表紙は幕政などの風刺。人情本はラブロマンス。接吻(キス)と書くと、発禁になるのは分かっていたので、「呂」文字を使った。つまり「口」と「口」を「ノ」(舌)でつなぐという(やるな〜)。合巻とは、黄表紙を何冊にもわたって、連載させたものと、とらえてください。
 これに対して弾圧されなかったのが読本。勧善懲悪だから。『雨月物語』(上田秋成)は簡単に言えば、怪談のショートストーリー集だけど、これはいい。幽霊に情緒があって、哀れで泣ける。やたらに気持ち悪い内臓や生首を飛ばして、生理的嫌悪感に訴えるような、どっかの国のホラーとは大違いだ。『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴)はメジャーでしょう。滑稽本の『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)は弥次喜多道中。単純に笑える。『浮世風呂』(式亭三馬)は、銭湯での会話集。おばさんのうわさ話や、年ごろの女の子の、男の品定めなんて、今でもきっと、こんなもんなんだろうな。 (あ〜、もっと言いたい→エピソード「入試に出ない化政文学」へ。受験に関係ないので、またの機会にするけど、日本の古典はいい。君たち大学に通ったら、現代語訳でいいから読みなさい。特に元禄期の近松門左衛門に比べたら、シェークスピアなんて三文芝居だ・・・不穏当な発言)
(2)俳諧は、与謝蕪村は天明期の人で、文人画とのからみ。句のキーワードは「絵画的」。(エピソード「岩倉の狂女恋せよほととぎす - 蕪村の句と座敷童 -」へ小林一茶は、人間味豊かがキーワード。
(3)川柳は柄井川柳と一問一答。
(4)狂歌の大田南畝は幕吏としても有能で、幕府の役人登用試験である「学問吟味」に首席で合格。日本で最初の入試の手引きを書いた人。
(5)その他、最近、鈴木牧之の『北越雪譜』がでるね、なぜか。

2 演劇 
 「東海道四谷怪談」(鶴屋南北)などがあたった歌舞伎が全盛を迎え、反対に、浄瑠璃が歌舞伎に圧倒されて衰退し、唄浄瑠璃に移っていった。なお、浄瑠璃の脚本家の竹田出雲と近松門左衛門(元禄文化)の正誤問題がたまにある。

3 国学
 いわゆる「国学の四大人(しうし)」の順番がポイント。「春はカモのノリだね」(荷田満→賀茂真淵→本居長→平田篤」。盲目の学者塙保己一(はなわ ほきいち)の和学講談所(幕府の援助)と「群書類従」(古史料の索引集。現在に至るまでこれを越える本はないという)は頻出。
 国学とは洋学だけでなく儒教・仏教も外来思想として排した。自由な研究も行われ批判精神も強かったが、国学者たちは復古主義の立場から尊王論を唱えたのであって、幕府政治を否定するものではなかった。しかし、平田篤復古神道は、地方へ広がっていき、幕末の尊王攘夷論にも影響を与え、現実の政治運動と結びついていった。

4 洋学
 人物と業績を一つ一つ覚えるしかない。(帆足万里と長久保赤水はほとんどでないが、それ以外は全て)ニュートンの万有引力説などを紹介した志筑忠雄(「暦象新書」)は、ケンペルの「日本誌」を「鎖国論」と訳した人としても出題される。
 正誤問題は、「寛政暦(高橋至時)⇔貞享暦(安井算哲・元禄文化)」。「蘭学事始(杉田玄白)⇔蘭学階梯(大槻玄沢)」。なお大槻玄沢の私塾芝蘭堂は、オランダ正月を行ったことでセンターテストでもでた。

5 教育
 幕府の研究機関は、「蛮書和解御用→蕃書調所→洋書調所→開成所」の順番をおさえる。教科書では幕末の文化などと分けて記述してあるが、ここで覚えてしまおう。「蛮書和解御用は高橋景保の建議」、「蕃書調所はペリー来航の影響」も、あわせて知っておきたい。
 私塾・教育の目玉は、大坂にあった二つの塾につきる。
(1)蘭学=適塾(緒方洪庵)→福沢諭吉・大村益次郎
(2)儒学など=懐徳堂(大坂の町人出資)→富永仲基・山片蟠桃
 吉田松陰の松下村塾は、幕末の志士を育てた。広瀬淡窓の咸宜園は一問一答。石田梅岩の心学は、「京都でやさしい生活倫理」がキーワード。

6 政治・社会思想
 人物と著者名だけでなく、その主張の内容まで最近は問われる。そこで、
(1)太宰春台は荻生徂徠の弟子で、商業藩営論で『経済録』
(2)本多利明は開国貿易論で、『経世秘策』『西域物語』。
 ※飢饉による国内生産の低下やロシアの南下などを踏まえて、蝦夷地の開発や政策に外国との交易を加えることで、必要物資を確保して、富国化を図ることを説いた。この主張は,それまでの荻生徂徠などの国内の改革に限定されていた経済政策思想から,国際社会の中の日本という視野に立った政策思想への転換点となった。

(3)海保青陵は商取引が社会の原理で『稽古談』
(4)
安藤昌益万人直耕の自然世=『自然真営道
というようにセットでおさえる。これは大変だけど、二宮尊徳の報徳仕法まできっちり覚える。

 ちなみにノートで@太宰春台、A本多利明、B佐藤信淵の順になっているのは、出題頻度の順ではなく著書が「似たもの三択」だから。

 太宰春台『経済緑』←→本多利明『経世秘策』←→佐藤信淵『経済要録』

である
 尊王論。水戸藩では徳川光圀(俗に言う水戸黄門ね)が、江戸の彰考館で『大日本史』の編纂を始めて以来、独特の尊王論が芽生えた。これを水戸学という。混乱する人がいるが、水戸藩の藩学は、弘道館。やや難しいけど、藤田東湖の『弘道館記述義』があるでしょう。
 宝暦事件と明和事件の区別
をしっかり。竹内式部は、京都で公家たちに尊王論を問いて追放された(宝暦事件)。尊王論が弾圧された最初の事件とされるが、弾圧したのは幕府ではない。竹内式部は、山崎闇斎の垂加神道を奉じて、京都で公家たちに『記紀』や儒書を講義し、大義名分の立場から尊王論を説いた。式部の説は、現状に不満を持つ桃園天皇の近習らに強く支持され、天皇への進講も実現したが、朝廷内部の勢力争い(摂関家と天皇の近習の対立)に巻き込まれて追放された(天皇との関係悪化を懸念して、幕府は消極的だった)。
 明和事件で死刑になった山県大弐の『柳子新論』と会沢安の『新論』をかけた正誤問題もあった(悪問と言って良いと思う) 。

7 美術
 大きく分けて5つのジャンルがある。
(1)1つめが浮世絵。鈴木春信錦絵とよばれる多色刷りの浮世絵版画を創始。これにより浮世絵が安価で大量に作られるようになり普及することになった。ここで注意。浮世絵版画そのものを始めたのは菱川師宣(元禄文化)。区別すること。この錦絵の代表的作が、「美人画=喜多川歌麿」「役者絵=東洲斎写楽」「風景画→『富嶽三十六景』=葛飾北斎 ・ 『東海道五十三次』=歌川広重」です。代表作は写真でも判断できるように。
(2)2つめの写生画は一問一答。
(3)3つめが、意外によく出る文人画。文人画はよく(南画)と書かれています。これは文人画の別名が南画というわけではありません文人画とは渡辺崋山池大雅・与謝蕪村『十便十宜図』)など、画家を本職としていない、文筆業者が描いた絵のことです。そして、彼らが好んで用いた技法が中国の南画。ですから例えば「池大雅や与謝蕪村が描いた絵のことを何というか」と出題した場合、受験生が「文人画」と答えても「南画」と答えても、○になるという意味です。

 4つめが西洋画。平賀源内の『西洋婦人図』は写真もでる。5つめが司馬江漢銅版画です。

 最後の、生活・信仰はイメージが難しいね。幕末に爆発的にはやった伊勢参詣御蔭参りといい、これは主人の許可を得ていない抜け参りが多かった。また教派神道の教祖もあげておきましたが、出題頻度からいうと、天理教の中山みきが、一番でしょうか。

(2006.8.19加筆)
(2010.3.20加筆)
(2015.8.15追記)

(2016.12.28タイトル変更。追記)
(2023.12.2 本多利明、宝暦事件について加筆)

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