メジャーなところは本編で一応述べたので、ここでは他のネタを紹介します。
(でも『雨月物語』の「浅芽が宿」(幽霊になっても愛する夫を待っていた。『平家物語』の安徳天皇入水と並ぶ、女子に涙をさそう話)、「蛇性の婬」(凄い美人は蛇で、取り殺されそうになる。)、「青頭巾」(愛していた弟子が死に、悲しみからその肉を食べてしまった僧。愛も煩悩か。)などは、燃えるところだよね。山東京伝の『江戸生艶気樺焼』(黄表紙)も、大金持ちのボンボンだけど全く「もてない君」19歳が、恋愛に悩む男になって、もてもて男として人に噂されたいと芝居をうつ。超売れっ子の芸者に50両渡して、「あなたに一目惚れしました。」と泣きついてもらうが、番頭には「若旦那の顔でこんなことがおこるはずがない。人違いじゃないですか。」といわれる始末で、ちっとも評判にならない。これでもかと策を弄するバカ旦那のナンセンスコメディーぶりは、吉本新喜劇も真っ青だ。)
本題。先の『江戸生艶気樺焼』にならんで、これぞ黄表紙、つまり風刺滑稽の絵入り小説と言えるのは『大悲千禄本』(だいひのせんろくほん)でしょう。
大悲とよばれる千手観音も不景気には勝てず、千本ある手を切り落としてレンタルしようと決心する。面の皮屋千兵衛というのがレンタル屋を請け負った。
話を聞きつけ、様々な人が借りに来る。一の谷の戦いで右腕を切り落とされた平忠度。手を切り落とされた鬼神茨木童子。脇役だから手を作ってもらえない人形浄瑠璃の人形。テクニック(手練手管)のない遊廓の女。字の書けない者...などなど。(ここで平忠度が、「私のことはご存じの通り、借り人知らずと(帳面には)書いて下さい」と言っているが、これは『千載集』に載せられている平家の歌が、「読み人知らず」とされていることによる。当時、江戸の庶民はそのことを知っていたわけであり、教養の高さがうかがえる。)
ところがこの平忠度、うれしさの余りうっかり左手を借りてしまう。歌を書くと左右逆になってしまう。慌ててレンタル屋に戻ったが、もう右手は全て借りられた後だった。(なんか、今のレンタルビデオ屋でもありそうな話だなあ。)
茨木童子は、借りた腕はつるつるで毛がないので、神田の台の与吉に毛を生やしてくれと言うが...。(R指定に近い内容があるので省略)
テクニックのない遊廓の女も、うまく客を扱う。「たくさん手のある人だ。まるで蛸のようだ。」しかし、レンタル期限が切れ、回収されて困ってしまう。
字の書けない人は、千手観音の手を借りて、手紙や証文などを書いてみる。しかし、仏の手なので、梵字しか書けず役に立たない。
そのころ鈴鹿山に鬼神が住んでいて、みんなが困っていた。坂上田村麻呂に退治せよと命がある。
田村麻呂「お手を一本二朱でお貸し下さい」(覚えてる?金は1両=4分=16朱の4進法)
(この部分は、謡曲「田村」で「坂上田村麻呂が千手観音の助けを借りて、鈴鹿山の鬼神を退治した」という話をもじっている。「それぞれの手に弓を持ち、矢をつがえて、ひとたび放てば千の矢があめあられ」と言うくだりがあるそうな。)
千手観音は、面の皮屋千兵衛と相談。貸し出し中の手を回収して田村麻呂に貸して、また儲けようということになった。千兵衛は回収した手をあらためたが...。遊女に貸したものは小指がなくなり、握り拳で帰ってくる手にはけんかの傷跡がある。紺屋(藍染め業者。鎌倉時代の産業で出てくる。知らなければならない)へ貸したのは青く染まって、飴屋に貸したものはねばねば...などなど。
千兵衛「人差し指と中指が変な匂いがする。少し納得がいかないな。」(実は、最初の方の挿絵中に『値段とレンタルの注意』の張り紙があり、「指人形はしないこと」と書いてある。分かる人には分かります。R指定)
この部分の挿絵は、それぞれの借り手の様子が分かるようになっている。待つ田村麻呂は、本当はもちろん平安時代の人だが、舞台が江戸時代なのでたばこを吸っている。(たばこは知っての通り南蛮貿易によってもたらされたが、『慶安触書』『田畑勝手作りの禁』など何のその。いかに江戸時代にたばこが普及していたかがうかがえる。)
最後は、8本1両で、手をレンタルした田村麻呂が、芝居がかって鳴り物入りで出陣する。「手手てんてんてんてん、ててててて手手手手手.....、ててててててててててててててて.....」
千手観音「この手の字がめの字なら、薬師殿へ進ぜたい」(眼病平癒のため、絵馬に「め」の字をたくさん書いて、薬師様に奉納することにかけている。)
以上です。お楽しみいただけましたでしょうか?本当はもっと細かい内容であり、挿絵の芸も心憎い(笑える)のですが、あらすじだけ紹介しました。「日本人はユーモアのセンスがない」というのは大嘘ですね。
(2002.10)