『室町時代編2 室町幕府の政治』

4 室町幕府の政治 (P.49)

代将軍足利義満が、京都室町に「花の御所」を造営したことから出る。義満の補佐役である管領細川頼之は難問。なお管領という言葉は、細川頼之から使われ出した。
 室町幕府は分かりにくいという声があるが、基本は「鎌倉幕府のシステムを踏襲」→「幕府権力が弱い」→「直轄領が少ない」→「チマチマ税を取る」/「守護大名との連合政権」→「有力守護大名の反乱」→「応仁の乱」である。

(1)政治機構 
 基本的には鎌倉幕府との違いだけおさえればよい。三管領は絶対。「シバ細かった」→「斯波畠山細川」の足利氏一門。
 侍所の長官(所司)をつとめる四職は、伝統的に「京都の山は赤一色」→「京極山名赤松一色」である。なお、侍所の長官は山城国の守護も兼任している。

 将軍の直轄軍は、足利氏の家臣や有力守護の一族などからなる奉公衆であり、この奉公衆が幕府の直轄領である御料所の管理も行った。
 関東に置かれた鎌倉府に関わる設問は、頻出。キーワードは「鎌倉公方」「足利基氏」「関東管領/上杉氏」だが、「関八州と伊豆・甲斐の10カ国を支配」し、権限も強く、しばしば京都の幕府と衝突したことは知っておかなければならない。他の地方には「○○探題」が置かれたが、中でも九州探題は、今川了俊(貞世)が、着任して九州の南朝勢力を平定したこと。この了俊には『難太平記』があることが出題される。

 「足利氏一門が任命された三管領や侍所の長官となる四職とよばれた有力守護は、畿内や近国を含む3カ国以上の守護を兼任した」ことや、今川氏や大内氏といった有力守護が、鎌倉府や九州探題を牽制する役割を担っていたことは、入試問題解説「2011年度 東京大学2 室町幕府と守護」に詳しく記しているので参照してほしい。

(2)経済基盤
 経済基盤は、一つ一つ覚えるしかない。とにかく細かいが、特に倉役(土倉役)(←土倉)、酒屋役(←酒屋)という商工業者への課税と、関銭(←関所)、津料(←港の入津税)という通行税がよく出題される。
 抽分銭
(←日明貿易)や、守護を通じて庶民にかけられた段銭(←田畑の段数)や棟別銭(←家屋)も聞かれることがある。また、高利貸しを営んでいた五山にも課税したことが正誤問題等で問われている。
 分一銭(←徳政令)はやや難問。

(2005.9.18加筆)
(2010.3.3改訂)
(2013.9.14 2011年度の東大入試へのリンクを追加)


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