窓 『設問「太閤検地の歴史的意義について記せ」!』

   大学入試はマーク問題全盛である。しかし、私立大や国公立の2次試験では論述が課せられるものもある。200字〜300字というロングのものは、それなりに対策が必要だが、愛媛県の某私大のように「1行程度で記せ」とか「2行程度で記せ」というものもある。『安和の変の歴史的意義』なら、定番の丸暗記もの(平安時代編3『摂関政治の確立』参照)だが、80字〜100字程度のものが一番書きにくい。
 この場合、書くべきポイントは

(1)今までどうであったか。
(2)何をしたのか。
(3)その結果どうなったのか。

である。その具体的な例として、「太閤検地の意義」を取り上げたい。「一地一作人制の意義」とも言える。知っての通り、太閤検地は「日本3大土地改革」の1つ(『別館』テーマ史「土地制度」参照)とも言うべきものである。

 大学時代、ぼくの指導教官だった脇田修先生は信長は最後の中世領主。秀吉からが近世」と言われていた。その根拠は土地に対する考え方である。確かに信長は天才的先見性を持っており、中世の常識を覆すような政策を次々と打ち出したが、土地に対する感覚は、中世領主のものであった。それに対して秀吉の土地に対する政策、つまり太閤検地こそが近世をもたらしたという意見である。

 多数意見は、教科書を見ても分かる通り「信長から近世」という見方である。脇田先生の説は少数派かもしれないが説得力があり、ぼくは賛成している。恩師の説だからという訳ではない。影響を受けていないと言えば嘘になるが、脇田先生は「研究テーマは、教官と同じものを選ぶな。」と言われていた。なぜなら、同じテーマではなかなか先生を越えられないから。どうしても同じテーマになるのなら、まず先生の説を検証するところから始めるべきだ、迎合するなと。時々、大学では先生と同じ分野の研究をさせられるという話を聞くが、正反対だった。ぼくの研究テーマが御霊信仰(祟り神の研究)で、先輩たちに「これのどこが歴史の研究だ。」と非難される中、「こういう学際的が研究があっていいんだ。」と認めて下さった。雄弁な方で、「♪わ〜きちゃん、わ〜きちゃん、た〜くさんしゃべるのね。で〜もね、奥さんには負〜けるのよ〜♪」(象さんのメロディーで。ちなみに奥さんとは中世史の脇田晴子先生である。)と歌った無礼者の先輩がいた。

 その太閤検地の意義を80字〜100字でどうまとめるか。

(1)今まではどうであったか→中世までは、荘園制であった。荘園制では1つの土地に所有権を主張する者が大勢いた。この権利を『(しき)』という。例えば、領主である本家は本家職、領家は領家職。荘官は預所職など。名主は名主職、作人は作職。下作(小作)する下作人まで、「ここは俺が下作する権利がある土地だ」という下作職を持っており、これが重なり合っていた。これを「重層的な職の体系」という。そしてそれぞれが自分の取り分、言ってみれば中間マージンを取っていた。この中間マージンを「作合(さくあい)」という。

(2)何をしたのか→太閤検地はこの「重層的な職の体系」を否定することによって、中間搾取である「作合」も廃止した。

(3)その結果どうなったのか→領主と耕作者の一対一の関係をつくり、領主が農民を直接支配出来るようにした。農民は検地帳に登録され、土地の耕作権を保証されたが、代わりに土地に固定されることとなった。

これを80〜100字でまとめればよい。例えば、
「中世までの荘園制の重層的な職の体系を否定し、作合を廃止することによって、領主が農民を直接支配出来るようにした。農民は検地帳に登録され耕作権を保証されたが、代わりに土地に固定されることになった。(96字)」

である。

(2003.1.26)

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