桐原書店の教科書である『新日本史B』では、「この時代の社会は、士農工商(四民)を中心とする厳格な身分制度と・・・」と記されている。山川出版社の『詳説日本史』にも「こうした身分制度を士農工商とよんでいる。」と書かれている。
しかし、『詳説日本史』(山川)の173頁の終わりに記されている部分を見落としてはならない。そこには本編で述べた通り、支配者身分である「武士と天皇家・公家と上層の僧侶・神官」に対して、被支配身分として「農業を中心に林業・漁業に従事する百姓」と「手工業者である諸職人、商業をいとなむ商人を中心とする都市の家持町人」があり、この3つが主な身分であるとはっきり書かれている。「こうした身分制度を士農工商とよんでいる。」のであり、全体をよく読めば「士農工商はイデオロギー」だと分かる。この点については山川の教科書はよく出来ている。しかも「百姓とは農民だけではない」こともきちんと記されている。
被差別民についても「呼称は中世からみられた」こと。「えたは皮革製造やわら細工のほかに農業も行った」こと。非人は「貧困や刑罰によってなるものもいた」こと。「芸能に従事した」ことなども記されている。この点については、桐原の『新日本史B』でも述べられており、さらに「非人はもとの身分にもどることができたが、えたの身分変更は許されなかった」ことも加えられている。
ただし、その身分に関しては「もっとも下位」(山川)、「四民の下」(桐原)と書かれている。しかし、現在の研究では「下」ではなくむしろ社会の「外」というべきであることが指摘されている。事実、2002年度版の中学校の教科書では94.1%が、「別」や「ほか」という表現になっている。この部分については、君たちが中学校で使用した教科書の方が進んでいると考えられる。(上杉聰氏の研究に詳しい。)
元一橋大学学長の阿部謹也氏はその著書の中で、私たち(日本人)は、自分たちが生活する「世間」の中で「自分が落ちこぼれないように努力している反面で、「世間」の外に特定の対象を設定して、その対象に対して自分の優位を確認しようとする。それが被差別民である。「世間」の外にそのような対象を設定することによって、自分自身の恐れや不安を転嫁する」のであると述べている。(『学問と「世間」』)
ぼくのホームルームにいた者にとっては「耳にたこ」状態だとは思うが、差別が生まれたり、なくならない原因を「誰か他の人のせい」にしていては、いつまでたっても問題は解決しない。
(2003.122)