今回は、守護大名と戦国大名との違いに焦点をあてる。題材とするのは東京大学1988年度第2問である。
<東京大学1988年度第2問>
守護大名と戦国大名のちがいは、室町幕府が戦国時代においても存続し、戦国大名の多くが将軍から守護に任命され、みずから守護と称したこともあって、形式的には必ずしも明瞭ではない。下記の文章は、『今川仮名目録』のなかの条文の一部を現代文に訳したものである。ここで、戦国大名今川氏は、みずから「守護(使)不入地」に対する位置づけの相違をとおして、両者のちがいを明らかにしている。これを中心にして、守護大名と戦国大名のちがいを、6行(180字)以内で述べよ。
もともと、「守護使不入」というのは、将軍が全国の支配権をもち、諸国の守護を任命していた時代のものである。(ところで、そのような政治体制のもとでは、)守護使不入であるといっても、(将軍から守護使不入の特権を与えられた者が、)不入地に対する将軍の干渉を拒否することはできないであろう。(それと同じ理屈で、)現在は、一般に(大名が、)自分の力で国法を制定し、領国内の秩序と平和を維持しているのであるから、(大名が認めてやった守護使不入地に対し、)大名の干渉をまつたく許さないということは、あってはならないことなのである。
今川氏というところがニクイ!
ある中学校の歴史の教科書には、
「実力のある者が、力をのばして上の身分の者にうちかつ下剋上の風潮が広がって、守護大名の地位をうばって実権をにぎる戦国大名が、各地に登場するようになりました。」(東京書籍 『新しい社会 歴史』P.69)
と記されているが、今川氏は守護大名から戦国大名になっており、まさに「守護大名の地位をうばって実権をにぎる戦国大名ではない」のがニクイ。その今川氏が守護大名と戦国大名との違いをどのようにとらえていたのか。
<考え方>
要求されているのは、
ア 守護(使)不入に対する位置付けの相違を中心として論じること。
イ 守護大名と戦国大名の違いを論じること。
ウ 6行(180字)で論じること。
である。
いきなり「う゛っ!」とつまるのは「守護(使)不入」という言葉だろう。ほとんどの受験生が初めて見る言葉だと思う。しかし落ち着いて考えれば分かる。不入といえば「不輸・不入」の権。荘園の不入の権は、国司が派遣する検田使の立ち入りを拒否する権利だから、この守護使不入とは、守護が派遣する使いの立ち入りを拒否するということだと容易に推測できる。
まずは、今川氏が言っている内容を整理してみる。
A もともと=守護大名の時代
@ 将軍が全国の支配権を持ち、守護が将軍に任命されていた。
A (守護の領国内にいながら)将軍から「守護(使)不入」の特権を与えられていた者がいた。
B Aの「守護(使)不入」の特権を与えられていた者も、(特権を与えてくれた主体である)将軍の干渉は拒否できないだろう。
B 現在=戦国大名の時代
C 大名が「自分の力」で国法を制定し、領国内の秩序と平和を維持している。
D その大名が認めてやった守護使不入の特権である。
E (特権を与えた主体である)大名の干渉をまったく許さないということは、あってはならない。
今川氏の論拠が見えてきたと思う。
ややこしいのは問題文にもあるように、室町時代の守護大名も、戦国大名もいずれも表向きは「将軍から任命された守護」という点である。そのため「室町時代の守護は将軍に任命される形で一国の支配権を主張したが、戦国大名は将軍とは無関係である」という書き方は誤ってるとぼくは考える。
要は不入の特権でも、その特権を与えた主体の干渉は拒否できないと言っているのである。
ポイントは「守護(使)不入」の特権を与えた主体が、守護大名の時代は将軍であったが、戦国大名の時代は大名だと考えている点を、しっかりと明示することである。
それでは「守護(使)不入」の権を与えられたのは誰か。前回、「室町時代の守護大名は、一国全体におよぶ地域的支配権を確立した一国の支配者であった。しかし、その支配領域の中でも地頭などの小領主である国人たちは自立性が強く、一揆を結んでしばしば支配者たる守護大名と対立した。」と記したように、守護の領国の中でも自立性の強い国人たちだと考えられる。
つまりAの時代、守護大名は一国全体におよぶ地域的支配権を確立したが、その支配の権限は全国の支配権を持つ将軍からの守護職への任命によって成り立つものであり、同じように将軍から国人等に与えられた守護使不入地を否定することはできなかった。
ではBの時代はどうか。
戦国大名は将軍から守護に任命されてはいても、その領国の支配権は自分の実力で得たものであり、将軍から与えられたものではなかった。
そのため領国支配の主体は大名自身であり、自分が法を定め特権を付与する立場にある最高権力者だと表明している。その大名が領国内の国人たちに認めてやった守護使不入地なのだから、特権を与えた主体の干渉を拒否することはできないと述べている。
つまり、守護大名が将軍から補任されてはじめて領国の支配権を主張できたのとは違い、戦国大名は仮に守護を名乗っていても、まず自らが実力で領国を支配し、その上で支配を正当化する大義名分として守護職に任じられた=守護職は支配のための名目に過ぎなかったと考えると分かりやすい。
求められているのは、「守護大名と戦国大名の違い」なので、これを180字でまとめればよい。
しかし、多くの受験生には「主体」という言葉は、思いつかないと考え、次のような解答例を作成した。
<野澤の解答例>
守護大名は一国全体におよぶ地域的支配権を確立したが、その権限は全国の支配権を持つ将軍からの守護職への任命によって成り立つものであり、その将軍から国人等に与えられた守護使不入地を否定することはできなかった。一方戦国大名は、領国を実力で支配していることを理由に、自らが最高権力者として法を定め特権を付与する立場にあると表明しており、守護職は大義名分に過ぎなかった。(180字)
2010.12.24
発展 「どう違うんですか?守護と守護大名と戦国大名 その1ー東大入試問題に学ぶ 4ー」 (1996年第2問)
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