コラム 新人墓マイラー奮戦記5 

雑司ヶ谷霊園 
『岩瀬忠震から小泉八雲』


 新人墓マイラー奮戦記4 染井霊園周辺2「高村光太郎から宮武外骨」の続きである。

 巣鴨からJR山手線→メトロ有楽町線を乗り継いで、東渋谷駅へ。ここから雑司ヶ谷霊園を目指す。
 今度は事務所に直行した。と言いたいところなのだが、途中で目的の番地を見つけてしまい脇道へ。小栗忠順(ただまさ=小栗上野介)である。幸先良くこれをすぐに見つけて、拝んでから事務所へ。「雑司ヶ谷霊園案内図」をgetした(笑)。

 ここでの最大の目的は、小泉八雲に感謝の気持ちを述べることである。(エピソード 『家庭教育が育んだ日本人の微笑ー明治日本と小泉八雲ー』参照)

 しかし他にも、感謝を述べたい人がたくさん眠っていた。
 
 最初に参った小栗忠順もその一人。徳川埋蔵金伝説が有名であろう。薩長の武装解除の要求を受け入れて恭順を示したが、翌日斬首された。41歳であった。
 しかし彼は大隈重信をして「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない。」と言わしめたり、東郷平八郎が自宅に小栗忠順の娘婿(小栗の実子は娘の国子のみ)の小栗貞雄とその息子の又一を招き、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい。」と礼を述べたと伝えられるなど、日本の近代化に大きな足跡を残した。

 そして岩瀬忠震(ただなり)。日米修好通商条約をめぐるハリスとの交渉に全権として井上清直とともにあたり、ハリスをして「井上、岩瀬の諸全権は綿密に逐条の是非を論究して余を閉口せしめることありき。(略)懸かる全権を得たりしは日本の幸福なりき。彼の全権等は日本の為に偉功ある人々なりき」と言わしめたが、のち左遷され、失意のうちに亡くなった。

 さらに中濱萬次郎。いわゆる「ジョン万次郎」である。ただし「ジョン万次郎」という呼び名は、井伏鱒二が直木賞を受賞した『ジョン萬次郎漂流記』で用いたために広まったもので、それまでは使用されていなかった。
 帰国後、士分に取り立てられるも、嫉みなどもあってペリーとの通訳を降ろされてしまうが、蔭で平和裏の交渉を支えてくれた。

小栗忠順。徳川の埋蔵金伝説だけでなく。もっと知って欲しい人物。司馬遼太郎は、彼を「明治の父」と評している。この人を斬首にしたのは日本の大きな損失だった。 岩瀬忠震。「あなたがいたのは本当に日本の幸福でした。」日本を植民地化から救ってくれた。そして抜擢した阿部正弘はやっぱり凄かった。 中濱萬次郎坂本龍馬ら多くの人間に、「日本は小さく世界は広い」というその世界観が影響を与えた。幕末における影の重要人物。 加藤弘之。明六社の同人で、『真政大意』などで天賦人権論を紹介。しかし後には民権思想を批判。

 さらに、

夏目漱石。誰かが猫のぬいぐるみを置いていたのだが・・・ 右側にいたのは本物の猫。思わず「おまえ、分かってやってるのか?」と話しかけてしまった。 島村抱月松井須磨子とともに演劇界に多大な功績を残した。しかし須磨子は一緒の墓に眠ることを許されなかった。 明治の演劇と言えばこの人市川左団次!団菊左時代!墓は本名の荒川で。

 
 次の文章は、ドナルド=キーン氏の講演の一節である。彼が東日本大震災を契機に、日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明したことはよく知られている。

私が聞いた現代の日本語でいちばん美しいと思ったのは永井荷風です。たいへん幸運なことに、私は永井荷風先生に会う機会があったのです。そのとき聞いた日本語は、何ともいえないすばらしいものでした。真似ができたらどんなにいいだろうといまでも思っていますが、永井荷風を見たとき、本当にいやらしいおじいさんだと思いました(笑)。同じ部屋にいるのがちょっと不愉快でした(笑)。前歯が全部抜けて、失礼ですが、ズボンのボタンが全部外れている(笑)。格好が悪い。しかし、ものを言い出しましたら、「あ、これが日本語だ」と思いました。日本語にはこういう可能性があるのだとわかったのです。」

永井荷風。『濹東綺譚』でしょう! ドナルド=キーン氏が出会った「最も美しい現代日本語を話す日本人」 泉鏡花。『高野聖』は、今、よく漫画のモチーフでも使われるほど流行っている伝奇小説の走りだと思う。 大塚楠緒子。「ひとあし踏みて夫思ひ ふたあし国を思へども 三足ふたたび夫思ふ 女心に咎ありや(『お百度詣』)

羽仁もと子。日本女性初のジャーナリスト。自由学園の創始者。「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」は彼女の信条女子でマスコミ志望者は是非、参るべき。 大井憲太郎。受験で出るとしたら大阪事件。授業のネタでは「オーイ」と呼んだら「けんたろうー」と答えたんや。でもこれ、ぼくの高校時代の先生から譲り受けたネタです。 安部磯雄。キリスト教徒で社会主義者。社会民主党。反軍演説による斎藤隆夫の議員除名問題では除名に反対し、党首でありながら社会大衆党から除名処分を受ける。

 そして、

               

 
                   一番の目的であった小泉八雲の墓である。

 小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンについては、日本研究者でハーンとも交友があったチェンバレンが、「ハーンは幻想の日本を描き、最後は日本に幻滅した。」と述べている。それに対して日本人の研究者の間でもチェンバレンを批判してハーンを擁護する者と、「ハーンは日本の過去を美化しすぎており、チェンバレンは学者として正確な日本像を描こうとしたのだ。」とか「ハーン礼讃はナショナリズムの現われではないか。」と反論する者があり、論争になっていることは、ぼくも知っている。
 
 それでもぼくは、小泉八雲=ハーンの墓の前で、「
こんなに日本を愛してくれてありがとうございました。」と声に出して言った。

 最近、ある留学生が次のように言うのを聞いたことがある。

日本は、こんなに平和で豊かで安全な国なのに、こんな国は世界にないのに、どうして日本人は自分の国のことを悪くいうのだろう。どうして日本のマスコミは、新しい政府ができると、国民が選んだ政府なのに、応援せずに何もしないうちから批判するのだろう。」


 去ろうとして、思い返してもう一度、小泉八雲の墓に手を合わせた。そして、よくぞ戻ってきたと思った。気付いていなかった。

 八雲の墓の左側に立つ小さな墓は、妻の
小泉セツさんの墓だった。

 墓の前で、笑みと涙が同時にこぼれそうになる不思議な感覚を経験した。

 そしてもう一度、言った。

 こんなに日本を愛してくれてありがとうございました。」

2013.2.10

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