コラム 新人墓マイラー 奮戦記2 

青山霊園2 
『小村寿太郎から浜口雄幸・井上準之助』

 「新人墓マイラー 青山霊園奮戦記1」の続編である。

 2日後の午後4時過ぎ、再び青山霊園へと向かった。今度は目的地がはっきりしている。「8号1種ロ-1側14番」である。

 ところが、これがまた見つからない。このあたりのはずなのだと思いながら、同じ場所を行ったり来たりした。しかしその間に、前回以上の収穫(?)を得た。

最初は小村寿太郎である。これも地図には
紹介されていない。でも看板がでていた。
頭山満。右翼玄洋社(大隈重信が外相の時、爆弾を投げ
た)の総帥。でも辛亥革命後、日本政府が袁世凱支持に回る
中、追われた孫文を受け入れたのもこの人だった。
加藤友三郎。言わずと知れたワシントン会議全権。のち首
相。きれいに清められ、ひっそりとたっていた。
牧野伸顕。大久保利通の次男。パリ講和会議の時、西園
寺公望とともに全権。死んだとき財産がほとんどなかった
ことも父親大久保利通を彷彿とさせる。


犬養毅。説明の必要なし。さすがに有名人だからか、きれいな花が添えられていた。 加藤高明。これも説明の必要はないでしょう。第一次世界大戦の時外相。そして「憲政の常道」スタートですよ。 大鳥圭介。日清開戦時の韓国公使として陸奥宗光の『蹇々録』中にでてくる。 佐野常民。適塾出身。政治家だが、日本赤十字社の創始者として有名かも。


そして、ついに見つけた!

飾り気のないシンプルな墓 隣には夫人が眠っている。 そして、浜口の墓の隣が大親友の井上準之助の墓! 浜口の墓とほとんど同じつくりである。

 本当に感動して、浜口と井上の墓の間を行ったり来たりして、何度も拝んだ。「男子の本懐」という言葉をつぶやいていた。もし見ていた人がいたらさぞ滑稽であったろうと思う。
 そして、政権欲しさに軍部や右翼に迎合して、統帥権干犯と浜口を非難し、辛うじて一命をとりとめた浜口に対して、他の者の議会での答弁を断固拒否して登院を執拗に迫り、死に追いやった鳩山一郎はやはり許せないと思った。

 『男子の本懐』にある「宰相たるものが嘘をつくというのでは、国民はいったい何を信頼すればいいのか。」「自分は死んでもいい。議政壇上で死ぬとしても責任を全うしたい。」といった浜口の言葉や、浜口が死んだとき、見えっぱりでスタイリストと見られた井上準之助が号泣する場面を思い浮かべながら、墓の前を通る道路の反対側から、並んで立っている二人の墓を目に焼き付けて、青山霊園を後にした。

 ホテルに戻ってから、ふっと気付いたことがあった。城山三郎の『男子の本懐』の最後に何と書かれていたか。

「木立の中に、死後も呼び合うように、盟友二人の墓は、仲良く並んで立っている。」

 そして、あの事務所で渡された地図をもう一度、眺めた。やはり浜口雄幸の墓は記されていない。しかし、井上準之助の墓の場所は示されていた。

2012.9.17

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