コラム 新人墓マイラー 奮戦記1 

青山霊園1 『大久保利通から金玉均』

 2012年の2月末。東京へ行く機会があった。午後3時ごろになってふっと、「そうだ、大久保利通の墓へ行こう!」と思い立った。
 ぼくが近代日本を築いた人物として大久保利通を非常に高く評価しているのは、以前から述べている通りだが、まるで昔のJR西日本のCM「そうだ、京都へ行こう」的なノリで思ったのは、その数日前の夜に、突然届いたメールの影響もあったと思う。

 相手は以前、コラム 『古典から思うー顔回と子貢ー』で登場した同じ歳のM先生である。彼は、国際的な北極調査のプロジェクトに日本隊の一員として参加した非常に有名な生物の教員である。あのコラムを書いたときは出会ったばかりであったが、あれからえらく気が合うようになって、夜10時を過ぎてから、互いに「今から飲みに行かないか。」と誘い合う仲となった。

 彼からのメールは以下の通り。

感激して、神社のすぐ隣のラーメン屋に入ったのに地元の客に聞いても知らんと言う。嘆かわしい。日本史教育はどうなってるのかとも思った。こんなすばらしい人を地元の人も知らないなんて。石屋の息子が総理にまでなった。しかも最も無私の人であった。その人を世に送り出した人こそ当時の教師。この字を見て改めて感動した(>_<)。でもこの感動を分かってくれる人はそうはいなさそうです。(>_<)(>_<)(>_<)

       

 今これを読んでくれている人、誰のことか分かりますか?

 ぼくは「先生が今どこにいるかはよく分かった。」と送り返し、しばらく広田弘毅ネタでやりとりをした。

 東京へ出たのはその数日後であった。持っていた小さなガイドブックには、青山霊園に大久保利通の墓があると紹介され、その顕彰碑の写真がこれまた小さく載っていた。

 「大久保利通だし、ガイドブックにあるぐらいだから、案内看板がでているだろう。」と考えたところが田舎者の悲しいところである。東京の人なら笑うであろう。

 行ってみた。途方に暮れるほど広かった。案内看板などまったくない。これは見つけられるのだろうかと思ったが、不思議と諦めて帰ろうとは思わなかった。適当に歩き出した。
 そしたら何と、10分ほどで本当に見つけてしまった。自分でも驚いた。これは天の導きではないかと思った。
 感動した!何度も行ったり来たりして、写真を撮りまくるという、迷惑な”にわか墓マイラー”と化していた。

全景 大久保利通の墓  顕彰碑 近くにそっと立っている大久保夫人の墓

 すぐ近くには斎藤茂吉の墓もあった。
 そして思った。「よし、次は
浜口雄幸の墓へ参ろう!」
 M先生が「
落日燃ゆ」(城山三郎:1974年)ならこっちは「男子の本懐」(城山三郎:1983年)だ。

 ところが、これが分からない。1時間30分、闇雲に歩き回った。5時近くなり、少し暗くなってきた。今日は諦めて帰ろうとして、事務所があることに気付いた。もしかしたら教えてもらえるかもしれない。訪ねてみた。応対に出てくれた女性に言った。
 「すみません。もしよかったら浜口雄幸さんのお墓の場所を教えてもらえませんか。ぼく、すごいファンなんです。」
 ところが、
 「浜口さんてどなたですか?こちらに遺族の方から許可をいただいた方のお墓の場所を記した地図があります。よかったらご利用ください。」
と非常に丁寧な口調で言われた。『歩いてみませんか歴史の森』と題された地図には、大久保利通の墓の場所がしっかりと示されていた。ほかにも森有礼、北里柴三郎などの墓の位置が分かりやすく記されていた。最初からここへ来ればよかったと思ったが、それでも浜口雄幸の墓は記されていない。
 事務所の女性が本当に浜口雄幸を知らないのか、遺族からの許可がないので教えられないのかは分からない。改めて出直そうと決心し、青山霊園を後にした。
 
 しかし、闇雲に歩いたことは無駄でもなかった。地図には掲載されていないが、教科書に載っている人物の墓をいくつも見つけることができた。

黒田清隆。隣には夫人(黒田に斬殺された)の墓があった。
二人は今、どんな気持ちで眠っているのだろうと思った。
ワグネル。受験では、七宝焼で登場する。
おしゃれな墓だった。
金玉均。彼は暗殺され遺体はばらばらに
されて捨てられたり、さらされたりしたので、
墓というより顕彰碑なのだが、裏面を見る
とその墓碑銘を書いたのが→
朴泳孝なのだ!
ちょっと感動した。
東郷茂徳。親英米派で和平論者であり、ポツダム宣言受諾に貢献するが、東條内閣の外相であったため、戦犯として収容され死亡した。


 ホテルについて、インターネットで調べたら、やっぱり好きな人はいるのですね。浜口雄幸の墓の番地が書いてあるサイトがあった。それをメモして、青山霊園でもらった地図中に、このあたりだと検討をつけ、再度チャレンジすることにした。

後編「新人墓マイラー奮戦記2 小村寿太郎から浜口雄幸・井上準之助」へ)

2012.9.17

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