コラム 『古典から思うー顔回と子貢ー』

 名目上「御用納め」の夜(12月28日)、職場の同僚数人との小さな飲み会があった。その席でぼくと同じ歳で生物が専門のM先生から、突然次のように聞かれた。

野澤先生は、顔回と子貢とどちらが好きですか?

 顔回と子貢とはもちろん孔門十哲と称される孔子の弟子である。正直言って顔回と子貢のどちらを高く評価するかなど考えたこともなかったので、少し時間を要した。

「ぼくは子貢のほうが好きですね。」

と答えた。

「ぼくもです。」

とM先生はうれしそうに言われた。(ちなみにこの先生は、生物の教員として極めて有名な方である。)

「みんな顔回は清廉潔白だと言って、学者の鏡みたいに高く評価する。それに対して金儲けした子貢は邪道のように言われる。けど、孔子教団が存在できたのは、子貢がお金を儲けてくれて、孔子を宣伝してくれたからじゃないですか・・・。」

 聞きながら、なぜぼくは子貢の方を評価したのかと考えた。高校時代のぼくは晏嬰の大ファンであり、その理屈から言うと顔回に軍配を上げてもいいようにも思う。 しかし、「自分も、この人のような考え方、生き方をしたいと思う人物は、年齢や置かれている立場によって変化する」ことは以前に述べたとおりである。(コラム「受験知識に教えられること−藺相如−」参照)
 そして今、ぼくが子貢を評価するのもまた、自分が置かれている状況が影響していると思った。

 現在、ぼくは新設の公立中高一貫校に勤務している。(エピソード『これが現実?ー蟲愛づる姫君ー』参照) 今の時代、新設の中等教育学校などというのは後ろ盾も歴史も何もないベンチャー企業のようなものであり、毎日が生き残りを賭けた戦いである。栄枯盛衰が目まぐるしく展開する「春秋・戦国時代」そのものといってよい。力なき者(学校)、才なき者(学校)は滅びる。強国(伝統校)に囲まれて生き残るために何をし、それをいかに周辺に発信するかを常に考え、即、実行しなくてはならない。「今までは・・・、他の高校では・・・」などというのは通用しない。

 顔回(顔淵ともいう)は孔子から後継者として見なされており、「一を聞きて十を知る者」と賞賛された。早世した時に孔子が「ああ、天われを滅ぼせり。」と慨嘆したことはよく知られている。孔子自身が「顔回には敵わない。」と言うなどベタ褒めである。

 対する子貢は、「貨殖列伝」に名を連ねるほど商才に恵まれていた。魯、衛の宰相にもなり、孔子門下で最も富んだ。彼の逸話で有名なのは、『史記』の「仲尼弟子列傳」で記されている遊説の話であろう。

 孔子の母国魯が斉の侵略にさられた。孔子は弟子たちに「誰か斉の侵略を止め、魯を救える者はいないか。」と尋ねた。子貢をはじめ何人かの弟子が名乗りをあげた中で、孔子は子貢に全てを託した。
 子貢は、斉・呉・越・晋の4カ国を遊説し、斉と呉、呉と晋、晋と越を戦わせることで、呉を破滅させ、斉に政変を起こし、晋を強め、越を覇者にし、結果として魯を守った。


 後の縦横家も顔負けの弁論術と言える。そんな子貢を孔子はことあるごとに「話し過ぎ」「過ぎたるは及ばざるが如し」「天命でもないのに金を儲けている」などと諫める。
 しかし、顔回の「一を聞きて十を知る」の話も、孔子が子貢に「おまえと顔回とどっちが優れていると思うか。」と問うたのに答えて、子貢が「私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者」と言ったのである。孔子に対してもその偉大さを天の高さに例えるなど、自分に対して厳しかった師を心から敬愛し、仲間を大切にした。それは孔子の死後、弟子たちを実質的にまとめたのが彼であったことからもうかがえると思う。

 ある時子貢は、斉の景公に「孔子は賢いか」と問われた。即座に「賢いです」と答えたが、「どのように賢いか」と問われると「知らない」と言った。景公は「あなたは孔子は賢いと言いながら、その賢さがどのようなものであるのかは知らないという。それでいいのか。」と聞いた。それに対して子貢は、「人は誰でもみんな天が高いことを知っています。しかし天の高さはどのようなものかと聞かれたら、誰もが知らないと答えるでしょう。私は孔子の賢さを知っておりますが、その賢さがどのようなものであるのかは知らないのです。」と答えた。

 子貢は、優れた者に対しては賛美を惜しまない一方で、他人の落ち度をフォローする術を持たなかった。彼の人間的度量の狭さと言えば、それまでかも知れない。
 しかし、孔子もいざ自分の母国が滅亡の危機に瀕した時、頼ったのは「しゃべりすぎ」と諫めていた子貢の弁論術であった。

 そもそもライバル関係の弟子の一人に「おまえとあいつとどっちが優れていると思うか。」と聞いて、挙げ句に「そうだ、おまえは劣っている。」と言うか!? 孔子は思想家としては優れていたかも知れないが、教師としては失格じゃないのか!
 
 教員にとって自分が勤務している学校は、いわば「春秋・戦国時代」の国である。歴史と伝統、そしてすでに確立された実力を持つ強国にいるのなら、理想を追求する顔回もいいし、それが望まれると思う。しかし、新興の弱小国に住む者にとってはマキャベリズムは不可欠だ。そんなぼくの今の思いが、子貢に軍配を上げさせたのかな、などと考えた。

 けれども、実はこんなことを考えて一番おもしろかったのは、一緒に話をした相手が国語や歴史の先生ではなく、生物の先生だったことである。
「ぼく、歴史が大好きで受験科目として地理じゃなく日本史を選択した。そのため大変な目に遭った。」とM先生は言われたが、そのお陰でこんな会話ができたのである。

 やはり君たちが学ぶことで、無駄になることってないんじゃないかと、改めて思った。

 2006.12.30

コラム目次へ戻る
トップページへ戻る