大学入試の知識でいうと、奈良時代は皇族と藤原氏が政治の主導権を争い、約10年ごとに政権交代が起こった時期である。
「藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡(例外)→藤原百川」
を語呂合わせで覚えたりする。その中で一番影が薄いのが藤原四子ではないだろうか。ほとんどの場合は長屋王の変と「南北式京=武智麻呂、房前、宇合、麻呂。最低でも北家の祖である房前は覚えろ!」で終わることが多い。
しかしこの藤原四子こそが、日本という一つの国を、ヤマト政権から続いた「氏族の寄り集まり国家」から、今につながる「官僚国家」へと脱皮させた立役者なのだとぼくは考えている。
朧谷寿氏はその著書『藤原氏千年』の中で、「不比等は、・・・、旧態依然としている他の氏族に先んじて新しいタイプの官僚貴族へといちはやく脱皮していったのである。」と述べているが、この「新しいタイプの官僚貴族」とはどういうものなのかについては触れられていない。
このことを最も明確に説明してくれた著書(?)は、実は東京大学の入試問題ではないか。(2006年度入試問題解説 『東京大学 その1』参照)そこには資料として、
「藤原不比等の長男武智麻呂は、701年に初めての任官で内舎人(天皇に仕える官僚の見習い)となったが、周囲には良家の嫡男として地位が低すぎるという声もあった。彼は学問にも力を注ぎ、右大臣にまで昇った。」
「太政官で政治を議する公卿には、同一氏族から一人が出ることが一般的だった。それに対して藤原氏は、武智麻呂・房前など兄弟四人が同時に公卿の地位に昇り、それまでの慣例を破った。」
ことなどが記されている。ここから何が分かるか。1つは、
官僚制が導入されても、周囲はそれを重視せず、良家の子弟は自動的に高い官職につくものだと考えていたこと。それに対して藤原氏は学問に基づく官僚制の意味を理解して努力し、その結果として右大臣にまで昇進した新しいタイプの政治家であったこと。
である。ちなみにこの時代の学問だが、明経道(儒教)が重視されていた。
ではなぜ藤原氏は慣例を破ることができたのか。藤原氏の中で武智麻呂一人だけが有能な官僚たらんとして学問を積んだとは思えない。この4兄弟が極めて仲が良かったことは、授業でもよく触れられるところである。つまり、
学問に励み、儒教的学識を備えた有能な官僚的政治家が、従来の慣例を破って一族として台頭してきた。
と言える。藤原氏が学問の重要性をよく理解していたことは、平安初期に設けられた大学別曹の中で、藤原氏の勧学院がもっとも整っていたことからもうかがえる。上でぼくは、今につながる「官僚国家」と記したが、科挙の時代も今日も、官僚登用試験は学力試験である。
つまり、大宝律令はできたものの有力氏族はみんな、「世の中は変わらない。どうせ各家から一人ずつが高位高官(公卿)に任じられるのだ。」と考えていた中で、唯一藤原氏だけが、律令制度=官僚制度の意味を理解して努力したと言える。
西暦717年(霊亀3年)10月、藤原不比等は嫡子武智麻呂(38歳)の身分を変えることなく、次男房前(法的には庶子、37歳)を参議とし、武智麻呂に先駆けて朝政に参加させた。この起用は、「一定範囲の上級貴族から一人ずつという議政官構成の伝統を破り、藤原氏による複数議政官の端緒」となった。(野村忠夫『奈良時代の政治と藤原氏』)
弟房前に遅れること4年、嫡子武智麻呂は、参議を経ずして中納言にのぼり公卿に列せられた。そして長屋王の変の直後には大納言に進んだ。さらにその2年後には宇合、麻呂が参議に任ぜられ、ここに藤原氏は10人の公卿の半数近くを占めることになった。
不比等に政治後継者と考えられ、4人の兄弟の中で最初に公卿となったのは房前であった。しかし、彼は最期まで参議のままであった。それに対し武智麻呂は左大臣にまで上り、結果的には名実ともに不比等の後継者となった。
そこには長屋王ら皇親勢力との協調路線を推進しようとする房前と、それを打倒して藤原氏主導の政治体制の確立を目指す武智麻呂との、藤原氏代表者の地位を争う対立があり、長屋王の変の結果、武智麻呂が勝利したのだという分析(木本好信『奈良朝政治と皇位継承』)もある。
しかし平安時代の学習では当たり前のようにとらえられている藤原氏による高位高官の独占も、その契機をたどれば、奈良時代の初め、多くの者が時代が変わろうとしていることを理解できず、「今まで通り」と考えている中で、藤原氏だけが時代のニーズを的確に理解し、それに対応できるように努力した結果もたらされたのである。
時代が動こうとするとき、新しい一歩を踏み出そうと努力する者に対して、旧勢力が妨害・抵抗することは今日の社会でも往々にしてみられることである。しかし歴史を振り返る時、勝者はどちらであるのか。
西暦717年(霊亀3年)10月、藤原房前、参議となる。その時、歴史は確かに動いたのである。
2008.1.1