エピソード 『平安文学』

 こう言うと国語の先生から、大反発を受けるかも知れないが(きっと必至だろうけど)、古典を文法きっちり、現代語訳して読むと面白くなくなる。

竹取物語
 受験なら「物語の祖」といったあたりがキーワードだろうが、「竹取」には個人的に苦い思い出がある。小学校6年生の時、クラスの女子生徒の一人が、図書館で「かぐや姫」の本を借りていた。それを見た男子2人ほどが、「なんや、6年生にもなって、かぐや姫を知らんのか。」と大声で馬鹿にして言った。その女子は恥ずかしそうに下を向いていた。僕はこの物語が、馬鹿にした男子のいうほど単純なストーリーではない、ということは知っていたので、「おまえら、本当に内容を知っているのか。」と言ってやりたかったけど、言えなかった。今思い出しても、情けなく心が痛む。まあ、そんな自分の弱さが嫌で、大学入学と同時に少林寺拳法をやるようになったのだけど。
 閑話休題。僕のことは置いといて、この物語は奥が深い。姫が3カ月で美しく成人することは有名だが、5人の求婚者を退けるための難問と落ち。そして3年もプラトニックな関係を続けた帝に最後に託した「不死の薬」を、帝が姫もいない世の中で、生き長らえても仕方ないと、駿河国の天に近い山で焼かせたので、「不死の山」から「富士山」となったなど、気のきいたところが盛り沢山である。大学へ通って時間ができたら、現代語訳でよいので読んで欲しい。

落窪物語
 一言でいって、受験キーワードは「継子いじめ」の話。日本のシンデレラ・ストーリーだが、違いは佳境に入ると頻繁(?)に、ベッドシーンが出ること。また継母の陰謀で、頭のはげ上がったスケベ爺(典薬助)に襲われそうになり、「体調が悪い」と言って逃れようとする姫を、典薬助が「それこそ私は医者だから、見てあげよう。」と言って、体に触ってくるところなどは 国語の授業ではやらないんだろうなぁ。

紫式部と和泉式部と清少納言
 紫式部は、清少納言を評して「やたらに漢文を知ったかぶりをして、言い散らしているが、よく聞いたら間違いだらけだ。」和泉式部を評して「確かにちょっと読んだ歌もうまい。でも、(あれだけ男好きでは)話にならない。」と言っている。
 確かに和泉式部と噂のあった男性は記されているだけでも、夫となった橘道貞と藤原保昌、それに「和泉式部日記」に登場する敦道親王とその兄為尊親王のほかにも源俊賢、源雅通、源頼信、藤原頼宗、道命阿闍梨などがいる。本当はもっと多くの男性と交渉があったと思われる。
 しかし、清少納言赤染衛門も、女房として働きながら、複数の男性との恋を楽しんだ。しかも紫式部が「良妻賢母の鏡」と尊敬したのは赤染衛門である。多分、紫式部自身も、藤原道長と関係があったであろう。しかし、彼女たちは「浮かれ女」とは呼ばれなかった。なのに和泉式部だけが悪く言われるのはなぜか?
 一つには、彼女がまだ女房としてサロンにデビューする前の、無名な存在の時に、相手が皇位継承者という大物であったことへの「やっかみ」があったのではないか。それに彼女は、プレイガールみたいに思われているけど、きっと相当、一途に男に尽くすところがあったんじゃないかな。そうでなければ、あれほどの男たちが、惹かれることはない。絶世の美女と言われた「六歌仙」の一人小野小町や、「本朝三美人」の一人と称されて天狗君だった「蜻蛉日記」の作者の藤原道綱の母さんよりも、かわいい女だったんじゃないかと、僕は思う。

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