先日、生徒に次のように言われた。
「野村萬斎さんの狂言、見てきました。『附子(ぶす)』でした。」
用事に出かける主人が、太郎冠者と次郎冠者に留守番を言いつける。その際、主人は桶を指し、この中には附子(トリカブト)という猛毒があるから注意せよ、と言う。しかしそれは実は砂糖であり、二人は全部食べてしまって、さぁ・・・という、最も有名な狂言である。
ぼくが授業のネタとして使う狂言の演目は、この「附子」の他、一番好きな「止動方角」(しどうほうがく。横柄な主人を、後ろで咳をすれば暴れる癖のある馬から落馬させる話)や、かつてセンターテストの問題にも利用された「鎌腹」(かまばら)などである。どれも楽しく純粋に笑える。日本人にユーモアのセンスがないというのは大嘘だとつくづく思う。
以前はこれらを語って狂言をイメージさせていたが、今では「NHKの『にほんごで遊ぼう』で野村萬斎がやってるやつ。」で分かる。
野村萬斎がかつてNHKの大河ドラマ『花の乱』で細川勝元を演じた時、「何と立ち居振る舞いの美しい青年だろう。」と思ったが、彼をここまでブレイクさせたのは、やはり映画『陰陽師』であろう。映画の中で、愛を失った女が生きながらにして鬼となり、安倍晴明と対決するシーンがある。その「もとネタ」となっているのは、謡曲(能の脚本)「鉄輪」(かなわ)である。
「宇治の橋姫」伝説から発展したこの謡曲は、「下京に住む男が後妻を迎える。先妻はこれを妬み、後妻を呪おうと考える。貴船神社に参詣すると「赤い布を裁ち切り身にまとい、 顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ロウソクを灯せば鬼となり、恨みを果たせる」と、橋姫伝説と同じような神のお告げを社人より受ける。一方、男は先妻の鬼と化した悪夢に悩まされ、安倍晴明を訪ねる。原因を見抜いた晴明が、男と後妻の人形(かたしろ)を作って祈祷をすると、先妻の生霊(鉄輪の女)が現れる。女は人形に向かって恨みを述べ、後妻の髪を手にからめて打ち叩いたりした末に、男の命をとろうと迫るが、晴明の呪術が勝り、鬼は消え失せる。」というものである。
謡曲では演目が「神・男・女・狂・鬼」と略称されるように、愛する者を失ったり奪われたりした悲しみや怒り、恨みから、鬼と化したり狂ったりする者が描かれることが多い。そして「鉄輪」のように伝説に題材をとっているものが多くある。
例えば「梅若伝説」をもとに作られた謡曲「隅田川」では、探し求めていた我が子の死を知らされ、悲しみから狂う母親の姿が描かれる。「大和物語 五十八段」にもとをとった「黒塚」では、乳母として仕える姫の病を治す薬として「生き肝」をとるために殺した若い女が、実は自分の娘であったことを知った母親が、悲しみの余り狂って鬼婆となる。
「鉄輪」の女は相手を呪い殺そうとするのだし、「黒塚」の鬼婆も大勢の人を喰っている。鬼としての行動は決して許されることではない。しかし謡曲で描かれる鬼や狂人は、たとえそれが退治されたり、調伏されたりする対象であっても、みんな哀しい。
心変わりした夫をどんなに責めてみても、恨んでみても、たとえ新しい女を殺しても、彼の愛情が戻ってくることはない。狂うほど嘆き悲しんでも、死んでしまった我が子は帰ってはこない。
その一方で人は、実力以上に自分をよく見せようとしたり、欲に目がくらんだりして、結局全てを失ったりもする。
人は本当に愚かで、情けなくて、滑稽で、それでも精一杯生きている。
それを方や正面からえぐり、此方豪快に笑い飛ばす。能楽と狂言とは同じ時代に生まれ、同じ舞台で演じられていたのである。この何というバランス感覚!
「能楽と狂言」は、もっと日本人が世界に誇って良い文化だとぼくは思う。
なお、謡曲「鉄輪」にまつわる井戸が、京都市下京区堺町通松原下ルにある。縁切りの水と言われている。今は枯れて水は出ないのだが、ペットボトルなどの水を供えて祈り、持ち帰って利用するのだそうだ。
「鉄輪の井戸」とその入り口。入り口は普通の民家の戸。表札の下に注連縄が張られている。ぼくが行った時にはちょうど郵便屋さんがでてきた。謡曲のイメージとのあまりのギャップに驚いた。「今は、鉄輪の井戸から郵便屋さんがでる時代なのか!」なんて思ったりした。
2005.9.19
本編へ戻る
エピソード目次へ戻る
トップページへ戻る