エピソード 『西暦415年の盟神探湯』

 『日本書紀』によると允恭天皇(いんぎょう)の4年(415)、甘樫丘(あまかしのおか)で盟神探湯が行われたと記されている。これを受けて今でも、甘樫丘の麓の甘樫坐神社では、盟神探湯神事が行われている。
 (甘樫丘は、飛鳥の名所の一つ。大和三山天香久山・耳成山・畝傍山)が見渡せる。萬葉旅行が飛鳥で行われた場合は、必ず旅行のフィナーレを飾っていた。)

 問題は、盟神探湯が行われた理由である。

氏姓を詐称するものが増えたことで生じた混乱を正すため

であった。そうか、古代でも出自や身分をごまかす奴っていたんだ。

 でも、ちょっと待てよ。允恭天皇って雄略天皇のお父さん(雄略は允恭天皇の第5皇子)だし、415年って倭王武こと雄略が、宋に上表文を送る(478年)の60年以上も前だぞ。

 臣の蘇我氏や連の大伴氏・物部氏などメジャーどころは別格として、中小氏族の氏姓って、当初からかなり混乱していたのね。

(追記)
でも、氏姓を詐称していた者の手は焼けただれ、真実を述べていた者は何ともなかったって本当かなぁ・・・。
目の前の奴が大火傷をするのを見て、「ヒエ〜、すみません、嘘を言ってましたぁ!」とか、みんな自白してしまったんじゃないかなぁ。

 けれども、神託は中世になっても信じられていたから、みんな、信じて手を入れたのかもしれない。(エピソード「籤引きって本当かも?−足利義教−」へ

 (2003.4.29)

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