エピソード 『射よ、かれやー貴族の武士観ー』

 ・・・その時に厩の方に、人声をあげて叫びていはく、「夜前率て参りたる御馬を、盗人取りてまかりぬ」と。頼信、この声をほのかに聞きて、頼義が寝たるに、「かかること言ふは、聞くや」と告げずして、・・・

 これは『今昔物語集』の巻25『馬盗人』の一節である。古典の試験でもよく取り上げられるので、知っている人も多いかと思う。

 源頼信の屋敷に、東国から立派な馬が届けられた。道中、馬盗人がこの馬を盗み出すチャンスをうかがっていたが、果たせず、とうとう京都まで付いてきてしまった。
 頼義は、父親が素晴らしい馬を手に入れたという噂を聞いて、土砂降りの雨の中、ご機嫌伺いという名目で訪ねてきた。それを察して父親は、息子が用件を言う前に、「この暗さでは馬の善し悪しはわかるまい。明日の朝見て、気に入れば連れて行け。」と言う。喜んだ息子は、「今夜は私が父上の警護をいたしましょう。」と、そのままの格好で眠った。
 その夜中、雨に紛れて馬盗人は馬を盗み出すことに成功した。その時、厩のほうから、「夜の前に連れてきた馬が泥棒に取られた」という叫び声があがった。頼信はそれを聞いて、頼義に「今の聞いたか」とも告げず、さっと衣を羽織って、自分の馬を引き出し、馬盗人が逃げたと思われる方へ、一人馬を走らせた。
 また、着の身着のままで寝ていた頼義も、その声を聞いて、親に告げずに、一人馬を出して追いかけた。

 親は、「我が子必ず追ひて来らむ」と思ひけり。子は、「我が親は必ず追ひて前におはしぬらむ」と思ひて、それに遅れじと走らせつつ行きけるほどに・・・(親は「我が子は必ずついてきている」と思う。息子は「親父は必ず前を走っている」と思い、遅れまいとする)

 やがて雨もあがった。盗んだ馬に乗っていた盗人は、「ここまで逃げたら大丈夫だ」と、走るのをやめ、水音を立てながら馬を歩かせていた。
 頼信はこれを聞いて、暗くて頼義がいるかいないかも知らないまま、

 「射よ、かれや」(撃て、あれだ)

その言葉が終わらないうちに、弓の音がした。
そして、乗り手を失った馬の鐙(あぶみ)が、からからとなる音が聞こえた。頼信は、「盗人は射落とした。あの馬を取って来い」とだけ言いつけて、そのまま馬を返して帰った。途中、騒ぎを聞きつけて追いかけてきた郎等たちと出会った。
 京の家に帰った頼信は、「こんなことがあった」とは一言も言わず、もとのように寝た。頼義も、取り返した馬を郎等に預けて寝た。
 夜が明けて、頼信は頼義を呼んで、昨夜のことには全く触れず、例の馬を出させた。見れば本当にいい馬である。
「それではやろう」と息子に譲ってやった。事件のことは、何も言わなかったが、馬にはよい鞍が置いてあった。盗人を射た褒美というわけであろうか。

すっご〜!

こいつら本当に人間か!? しかし、見落としてはならないのは、この巻25の最後に記されている言葉である。

あやしき者どもの心ばへなりかし。つはものの心ばへはかくありける、となむ語り伝へたるとや。

あやし」は「自分には理解しにくい、異常なものにたいする感じ」であり、「不思議だ。神秘的だ。」という意味とは別に、「見苦しい。粗末だ」から転じて、「身分が低い。卑しい」という意味がある。
 つまり、「身分が低い卑しい者どもの、優れた心の有り様である。武士の心の持ちようは、こうありたいと語り伝えられている」と言っているのだ。

 頼信・頼義の時代の武士は、貴族の前では這いつくばって生きていた。この最後の一文には、貴族の武士観が滲み出ている。

 2003.3.22

本編へ戻る
エピソード目次へ戻る
トップページへ戻る