安倍晴明が猛威をふるっている。インターネット上では「安倍晴明の陰陽道占い」という有料恋占いサイトまである。なんなんだ。
ぼくが初めて安倍晴明を知ったのは大学生時代だった。「玉藻の前」の話からたどり着き、「平安時代、母親が狐といわれる凄い超能力者がいる」ということで、たちまちファンになった。『今昔物語集』などでその記載を探し、「お〜!」と一人で悦にいっていた。(ぼくが小学生時代、自分のお小遣いで最初に買い揃えた本は、「バビル2世」だった。「超人ロック」もかなり読んだ。)今、すっかり有名になってしまった彼に複雑な思いである。
授業で安倍晴明に関係する場所があるとすれば、藤原道長と法成寺ぐらいであろう。
道長は日ごと法成寺の堂に通っていた。ある日、寺門を入ろうとすると、お供の白い犬が立ちふさがるように吠え、衣の端をくわえて引き止める。これを異に思って晴明を召すと、彼はしばらく占ってから
「これはあなたを呪詛して蠱物を道に埋めたのです。跨ぎ越えるのはよくない。犬はそれを知らせているのです。」
と言う。怪しい場所を占って掘らせると、土器(かわらけ)を2つ打ち合わせ、黄色い紙を捻って十文字に縛ったものが見つかった。開いてみると、中には何もなく、朱砂で土器の底に一文字が書かれているだけであった。
晴明は「自分のほかにこの呪法を知る者は道摩法師(芦屋道満)しかいない。糺してみよう。」
と言い、懐より紙を取り出して鳥の姿に引き結んで、呪文を唱えて空に投げ上げると、たちまち白鷺となって南へ向かって飛んでいく。
その後を追わせると、六条坊門万里小路の古い家の戸の内に落ちた。そこにいたのは果たして、道摩法師であった。
捕らえて問いただすと、左大臣藤原顕光の依頼によって道長を呪詛したという。
道摩法師は出身地である播磨国へ追放された。(『宇治拾遺物語』)
この話は有名であり、知っている人も多いと思う。
しかし、晴明と道満のライバル対決はまだ続く。
出身地である播磨国の佐用へ戻った芦屋道満は、再び道長呪詛に挑む。丘の上に護摩壇をたて、そこで呪文を唱える道満は、対決するために下ってきた晴明と、死闘を展開することとなった。
道満は呪詛の壇上に孔雀明王を祭り、赤煙を発する悪木をもって護摩をたき、その上に千年を経た古蟇(ひき)を逆さに吊るして道長調伏を祈った。
対する晴明は式神を飛ばして攻撃する。
両者が放つ矢が、はるかふもとの川にまで飛んできた。その地点がいまも「やりとび」という地名に残されているという。(『佐用町誌』)
播磨国は陰陽師に関係の深い土地である。晴明に術比べを挑んだ智徳法師も播磨の人であり、晴明自身、播磨守を歴任している。今、安倍晴明人気に便乗して、「ライバルの芦屋道満で町おこしを」という動きがあるらしい。ちょっと愉快である。
中央権力者側の陰陽師である安倍晴明は、常に敗北者として伝えられる在野の陰陽師たちを踏み台としてメジャーになっていった。
たまには、敗れた側が勝った側を踏み台にすることがあってもいいと、ぼくは思う。
2003.2.23
写真は現在の晴明神社。タクシーの運転手さんが、以前の社殿は今にもつぶれそうで何となく風情があったが、今はブームのお陰で新築されて有り難みがなくなったと言われた。実は・・・、ぼくも全くの同感であった。
(2005.9.17)