先日、宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』がテレビ放映された。その後、質問を受けた。
「映画の中で、『名前を奪って支配する』とか『名前を取り戻す』という場面があるじゃないですか。あれって、きっと日本史で何か意味があるんじゃないかと思ったんですけど。」
いいところに気付いている。
基本的に、相手に名前を預けるということは、主従関係を結ぶ、命を預けるということである。『平家物語』でも紙に自分の名前を書いて、相手に差し出す場面があるし、物語として有名なのは『鬼六』であろう。(大工が荒れる川に、鬼の助けで橋をかけた。鬼は報酬に目玉を要求する。ただし3日以内に自分の名前を当てれば許してやると言う。子どもが歌う童唄から、鬼の名を知った大工が、目玉を奪おうとする鬼に向かって、「鬼六、やめないか!」と叫ぶと、鬼は消えていた。)名前を握られるということは、命を握られることであった。
もっともこれは普通、男同志の場合。男女の間ではどうなるか。
女性が男性に名前を告げるということは、愛を受け入れる、つまりプロポーズを受け入れるということであった。
『万葉集』の「巻1の1」の歌。つまり、一番最初の歌は、雄略天皇(=倭王武=ワカタケル)が若菜摘みの乙女に呼びかける長歌である。
「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそませ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも」
かご(籠)やへら(掘串)でも、好きな人が持っているものは御かごであり、御へらである。ハンカチでも好きな人のものなら、ただの布ではないように。つまり、
「御かごを持って、御へらを持って、この丘で若菜を摘んでるお嬢〜さん、家と名前を教えてよ。この大和の国には俺ほどいい男はいないよ。だから、家と名前を教えてよ。」
となる。はっきり言ってナンパの歌である。ただし誤解なきように。万葉の時代は恋多きことは素敵なことであった。ちなみに返歌は「親からもらった大切な名前を、なんであなたに教えなきゃならないのよ。」というものであり、雄略が放った一の矢は見事にはじかれている。(故犬養孝先生はこれを例にして、「女性はね。男の人から好きだと言われて、すぐにO.K.したら駄目なのよ。じらさなきゃ。そしたら相手はさらに燃えるから。」と言われていた。)
ぼくの先輩には、万葉旅行会で知り合って結婚した人が多い。(と言うより、ぼくが例外)その中の一組の話である。結婚式の二次会で、「プロポーズの言葉は?」という質問が出た。なんと、
彼は便箋にこの『万葉集』巻1の1の歌だけを書いて送った。
返事は・・・。
便箋にただ、彼女の名前だけが書いてあった。
(2003.1.29)
追記。この2人の話はすごいと思う。でもね・・・。「東風子」と書いて「あいこ」という女性がいた。確かに万葉集では「東風」は「あい」だが、普通は菅原道真の歌にあるように「こち」だろう。温かみのある名前だと思う。けど「こちこ」、あるいは「トンプーシ」と呼ばれて困っていた。