エピソード 『じっと我慢の子であった』


 江戸時代のイメージに大きな誤りを与えている元凶が時代劇である。
 例えば昔あった『破れ傘刀舟悪人狩り』。あんなに毎週老中や奉行を切ってたら、幕閣一人もいなくなるぞ。
 『水戸黄門』だって印籠を見せられて、なんでみんな「はっ、はー」と土下座するんだ?まだ『暴れん坊将軍』の「ええい、上様のお命頂戴しろ。」のほうが説得力がある。えっ、家臣が言う通り将軍を襲うかですって? 当然ですよ。彼らの主君は悪代官や悪徳奉行であって、将軍じゃないもの。封建制度とは、あくまで自分の主君と主従関係を結んでいるのです。

 『遠山の金さん』は「遊び人の金さんでぇ」なんて言ってる(自分のことを「さん」付けする厚かましさはおいといて)けど、大忙しだった。
 月番だから1カ月働いて、1カ月休んでいると思ったら大間違い。門を閉じて「お白州」をしないのであって、その間に抱え込んだ事件などについて必死で調べたり、事務処理をしていた。また取り調べで拷問を行う幕吏もほとんどいなかった。
 裁判には自白証拠が一番とされていたから、与力以下、幕吏は相手が刀を持っていても、十手で生け捕りにしようとした。この点は正しい。しかし拷問をするには上司の許可が必要だった。しかも、拷問にかけなければ自白を得られないようでは、「取調官として無能」ということになり、出世できなくなった。

  そんな誤解の中の最たるものが「切捨御免」である。 桐原書店の教科書(『新日本史B』)には「農民や町人が武士に対してはなはだしく無礼なふるまいをしたとき」に許された武士の特権とある。これはホント。しかし、時代劇ではちょっとぶつかったぐらいで「この無礼者が!」と切り捨て、「無礼討ちじゃ。」とかいってるが、そんなに甘いものではなかった。

 無礼討ちにした場合、そのままにしておくと100%罪になった。当然のことだが、届出をしなくてはならない。(普通は自分の上司。例えば、旗本であれば目付『近世編1』監察機構参照)
 斬られた側を管轄する役所(町人なら町奉行所農民なら勘定奉行所になる。)も取り調べに参加する。で、被害者側・加害者側双方の言い分を聞き、「これは誰が見ても切られた方が悪い。」というような事態であったかどうかを吟味する。

 武士たるもの、「軽々しく怒ってはならなかった」し、「弱いものをいたわり憐れまねばならかった」から、相手が子どもや老人であった場合はさらに基準は厳しくなった。この点に関しては『新日本史B』の、武士は「為政者としての道徳性をきびしく要求された。」という記述の通りである。
 そして、「何も斬らんでもええじゃないか。」ということになったら、まず改易、切腹。よくても蟄居は免れなかった。

 まだ、続きがある。「なるほど、これは武士として斬らねばならなかった。」ということになっても、次がある。それは斬る際に「武士として恥ずかしい行為(士道不覚悟)」がなかったか否かである。
 我慢に我慢を重ねた上で、「斬らねばならぬ」と決心するや、一刀のもとに素晴らしく斬ったか。ためらったり、興奮して刀を振り回したり、剣技が未熟なためにいたずらに苦痛を与えたりすることなく、見事な刀さばきであったかが問われる。これが出来ていないと、やっぱり切腹となった。(しかしこんなこと、本当に出来る奴いたのか!?『剣客商売』か?)
 かといって、町人になめられたと言って訴えたりしたら、これまた「士道不覚悟」となった。こうなるともう「何もなかった」ことにして、じっと我慢するほうが無難だということになる。意外に日本人の「ことなかれ主義」の原因は、こんなところにもあるのかもしれない。

 こんな話もある。

 ある藩の参勤交代の途中、いわゆる大名行列を子どもが横切った。当然「無礼者」となるが、切り捨てたりはしない。その子は連れていかれるわけである。そして、村役人が、その大名が泊まっている旅籠『近世編5』交通・通信参照)へ出向き、丁寧にお詫びをして「よくよく申し聞かせますから」と子どもを引き取るという段取り・・・のはずであった。
 ところが、村役人の方も「どうせ殺せっこない。」とタカをくくっていて、極めて横柄な態度であった。その余りの無礼さに、とうとう行列を横切られた大名側は、その子どもを切ってしまった。
 戻った村役人は、そのことを藩に訴えた。領民を殺されたことを知った藩主は激怒した。そして、その大名が自分の領国内を通過することを拒否した。さらに周辺の藩にも協力を求めた。大名にも近所付き合いはある。加害者側の大名は、迂回路をとることも出来ず、参勤交代が出来ない事態に追い込まれてしまった。
 この事件は、追い詰められた加害者側の大名が、正式に謝罪することで決着した。

 大名が農民の子どもを一人殺してもこの状態である。江戸時代は、時代劇が描くほど命の軽い、殺伐とした時代ではない。

(2003.1.22)

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