エピソード「受験生が福沢君に見習うべきこと」

 受験生に元気が出る話(?)を1つ。ただし裏はとってません。デマかも知れませんので念のため。

 日本が開国して横浜が開港された。そこで福沢諭吉は、長年勉強してきた自分のオランダ語が、実際にはどれほど通じるかためしてみようと、外国人居住区へ向かった。
 ところが、福沢の期待に反して全く通じなかった。なぜ? だって「横浜中心イギリス相手」はキーワードでしょう!使われていたのは英語だったのです。
 さすがに福沢君も、落ち込んだ。「長年、自分がやってきたことは何だったのか...。」
 で、どうしたか?
 次の日には立ち直ったそうな。「よし、英語をやろう。」

   僕は個人的には、お札として残すのなら福沢より新渡戸稲造のほうがいいと思っている。福沢は『脱亜論』(近代編前期7参照)だけでなく、若いときは「門閥制度は親の仇」と言っておきながら、偉くなった後は鏡の前に立って「これで二本差しがさせたらなあ」と嘆息するなど、自己矛盾しているところもある。(まあ、それを言ったら夏目漱石だって、男に縛られない自由で自立した女性がこれからの理想だ、と口では言いながら、本当はそんな女が嫌でたまらなかったから、人間なんてそんなものかも知れない。)
 しかし福沢の、この常に次を目指す姿勢は見習いたい。返ってきた模擬テストの結果で一喜一憂して落ち込んで、悲劇のヒロインを気取るヒマがあったら、問題の克服のために何をしなければならないかを考え、即行動するべきだね。

(2002.10)

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