映画監督篠田正浩氏の著書の中に、次のような一節がある。
「アメリカが日本を占領した時、占領軍は日本の恋愛表現は封建的で臆病で貧しいものと見た。占領軍は日本にアメリカ人と同じように人の前で抱き合って接吻する映画を作れと命じた。私が知る限り唯一、作らなかったのが、小津安二郎だ。この小津安二郎の「奥ゆかしさ」は私が映画監督として持つ唯一のナショナリズムだ。これ以上の日本の伝統を、アジアで主張するつもりはない。」
学生時代に本当にお世話になった、万葉集研究の第一人者であった故犬養孝先生に、「野澤君、好きな人が出来たらラブレターを書きなさいね。電話なんかで簡単にすませちゃ駄目だよ。」と言われたことがある。その犬養先生は講演の時、いつも「万葉集はね、何て恋の歌が多い。」と話されていた。
パラパラと万葉集をめくってみると、そのことが実感できる。そして気付くことは、熱い思いを歌いながら、どこにも『愛している』とか『好きだ』とか言った「芸のない言葉」が使われていないことだ。
僕が一番好きな歌は、額田王の姉である鏡王女(かがみのおうきみ)が、恋人の中大兄皇子(天智天皇)への答歌として送った歌である。
秋山の 樹(こ)の下隠り 逝(ゆ)く水の われこそ益(ま)さめ 御思(みおもい)よりは
(秋山の木の下をかくれて流れてゆく水の、水かさが増しても誰も気付かないように、あなたも気付かないけれど、あなたが私を思って下さっているよりも何倍も、私のほうこそあなたが好きです。)
アメリカ人に押しつける必要はない。しかし、人前で抱き合ったり、声だかに愛を口にすることだけが豊かな恋愛表現ではないことを、日本人は誇りとともに自覚しても良いと思う。
のちに鏡王女は、中臣鎌足の正室となった。
(2002.8)