エピソード 『米公方(将軍)』

 8代将軍吉宗が、「米公方(将軍)」と呼ばれ、米価に苦慮したことは知っての通りです。彼は、時代劇の花形スターだったりするから、誤解があって、「民衆が困らないように、米の値段が上がらないよう苦心した。」と思っている人が多い。これは全くの逆です。
 産業でも述べた通り、耕地面積は享保の改革ごろまでに約2倍になっており、米は安値の傾向にあった。ところが武士は給料を米でもらっている。米価が安いということは、武士の給料が安いということ。しかも当時は、「米価安の諸色高」といわれ、いわゆる生活物資は高いときている。旗本・御家人は給米を、札差に換金してもらって、それでものを買って生活しているのです。
 だから吉宗は、旗本・御家人の生活を守るため、米価を上げようと努力したのです。(庶民のことなど置いといて)ほっとけば下がるものを、上げるなんて普通はできるはずがない。
 そこで、吉宗は高間伝兵衛という米問屋に、米の買い占めを命じました。米価は吉宗の思惑どおり、ジリジリと上がります。ところが!ここで、なんと享保の飢饉!米価は一気に跳ね上がりました。あはれ、高間伝兵衛は、今で言う「悪徳商人」と呼ばれ、江戸で最初の打ち壊しにあったという。世の中なんてそんなもんさ。
 また、吉宗は、「検見法」から「定免法」に改めたことでも知られるが、幕領の年貢率を五公五民から六公四民にもしている。しかし、彼は紀州藩では八公二民だったから、それでも手ぬるいと思ったことだろう。
 以上、米公方でした。

(2002.5)

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