嵯峨天皇の時代に、空海と修円(守敏大徳)という護持僧がおりました。この二人はいずれもとても優れており、天皇はどちらかを特に重んじていたわけではありませんでした。
ある時、修円が嵯峨天皇の御前にいると、天皇のもとへ栗が献上されてきました。天皇が側近の者に「この栗を煮てこい」というのを聞き、修円は「お待ちください。人の火ならば、なかなか煮ることができない栗でも、法力の火を持ってすればすぐに煮ることができます」と言いました。そして天皇の前で「あ~、あ~」と加持をすると、見る見るうちに栗が煮えたではありませんか。天皇は、非常に尊いことだと感じて、すぐに召し上がったところ、その味わいは何とも言えず素晴らしいものでした。このようなことが、その後、何度も行われました。
後日、空海が参内したとき、天皇がその話をすると、空海は「確かにそれは尊いことですが、私がいるときに同じことをやらせてみてください。私は隠れて加持をしてみましょう」と言いました。
それは面白そうだと思った嵯峨天皇(のお調子者)は、修円を召して同じことをさせました。ところが今度は精魂をこめて、何度加持をしても栗は煮えないのです。
「これはどうしたことか」
と、修円が奇妙に思っているところへ、空海が「へへへ・・・」(と言ったかどうかはわからないが)と姿を現しました。
修円はそれを見て、空海の加持の力で抑えられたことを知り、たちまち嫉妬の心が生まれました。この後、二人の仲は非常に悪くなりました。
人間、人のことを悪く思うと、大抵ろくなことは考えないようで、お互い思ったことは1つ。互いに相手に
「死ね、死ね。」
と呪詛をしたのです。しかし、実力が拮抗していて効果がありませんでした。二人は、互いに相手にとどめをさしてやろうと何日も祈禱を行いました。
このままではらちがあかないと思った空海は、一計を案じて弟子を市へやって葬式の道具を買わせ、「空海が死んでしまったので葬式の道具を買いに来た」と言い回らせた。
市でこれを聞いた修円の弟子は、喜んで師のもとへ走り帰り、そのことを伝えました。
修円が喜んで「本当にそう言っていたのか?」と聞くと、弟子は「はっきりと聞きました。ですからお知らせするのです」と答えました。
修円は「これはまちがいなく私の祈禱が効いたのだ」と思って、呪詛を終わらせました。
そのころ、空海は、そっと修円のところへ人を出し、「そちらで行われていた祈禱の修法は、結願しましたか?」と尋ねさせました。
その使いは帰ってきて、空海にこう言いまいした。
「修円は、『わしの呪詛の効果は十分にあった』と言って喜んで、今朝、修法は終わらせました」
それを聞いて、空海は、ますます精魂をこめて呪詛を行ったため、修円はたちまち死んでしままいました。
セコイ。しかし、考えてみれば、個人的な恨みで、人を一人呪い殺したわけですから、本当なら許されることではありません。
出典の『今昔物語集』には、このあと、「あ~、これで安心だ」と言う人間臭い空海の言い訳が書かれています。
「あいつ(修円)は、人間ではなかった。」
以上、空海対修円(守敏大徳)の一戦をお届けしました。
2002.4
2017.9.10編集